昭和史研究の第一人者である故・半藤一利氏と著者が、2013年から16年の3年間で6回、天皇、皇后両陛下(現上皇、上皇后)に御所に招かれ、計20時間以上にわたる「雑談」を交わした。公式の場面では絶対に出てこない陛下のお言葉は、昭和、平成の2代の歴史の重みを自然と感じさせた。半藤氏も驚いたという陛下が見せてくださった満洲事変に関する書籍とは――。本稿は、保阪正康『平成の天皇皇后両陛下大いに語る』(文藝春秋)の一部を抜粋・編集したものです。
なぜ陛下は満洲事変に
深いご関心を示すのだろう?
陛下は次のように切り出されたと記憶している。
「満洲事変についてはどう考えていますか」
半藤さん(編集部注/故・半藤一利。昭和史研究の第一人者であるジャーナリスト)はすぐにこう答えた。
「満洲事変というのは結局のところ、その後の日中全面戦争のきっかけでした」
満洲事変は1931(昭和6)年の出来事だ。1945(昭和20)年の敗戦に至る日本の悲惨な道はここに始まる。満洲事変については、磯田さん(編集部注/歴史学者の磯田道史)もよく知っているので、彼も加わって3人でおおむね次のような内容を説明した。
中国東北部・満洲は当時、張学良をリーダーとする軍閥が勢力圏としていたこと、これに対して日露戦争以来、現地に駐屯していた関東軍のナンバー3、高級参謀の板垣征四郎大佐と作戦参謀の石原莞爾中佐が基本的な作戦計画を練り、彼ら2人の謀略に関東軍司令官本庄繁が乗ったこと、事変の発端となった柳条湖事件は中国軍の仕業にみせかけた関東軍の自作自演だったこと、彼らの陰謀の大元には、天才的な戦略家と言われた石原の独自の戦略があり、将来、必ず米ソと対立する日本の国力を養うためには満洲の領有が不可欠と考えたこと、石原は、その後の中国との戦争を想定していなかったが、満洲国を打ち立てた陸軍が勢いに乗って中国に攻め入ったこと、など事変の概略を伝えることになった。
陛下はもっと細部を知りたいご様子で次のようにお聞きになった。