結果からいって、特にお付き合いが密になったご近所の2、3軒の方々はあまりその辺に頓着しなさそうだったので、ひょっとしたら加入は必要なかったかもしれない。しかし、それ以外の町内の人もすごくよくしてくれたし、こちらもしっかり金を払っているので堂々と立ち振る舞うことができたから、ぼちぼちよかったのではないかと思っている。

 半強制的に徴収されることになる町会費は、道理の通っている金ではないが、摩擦少なく生きていく上での経費なのかなと感じた。

コロナ禍以降途絶えた年間行事
高齢化の波も押し寄せる

 それも個人の考え方であろうか。近頃は町内会の拘束力というか、牽引する力がさまざまな要因によって衰えてきているので、入らないという選択肢もあり得る時代ではある。

 その町内会には100余戸あって、年間行事も盛んであった。「であった」というのは、ここ数年はソフトボール大会や夏祭りなどの主だったたのしげなイベントが軒並み中止になったからである。コロナ禍の影響は大きく、それまであったご近所づきあい(たとえば地域清掃のあとは必ず誰かの宅にご近所さんが集まって飲むなど)も、新型コロナ到来でぱったり途絶えてしまった。

 加えて町内会の高齢化がある。私が住んだ地域は高齢化社会をもろに反映していて、ご高齢の方が多かった。アクティブな人や、町内会の中心的人物が加齢で第一線を退くと、その人が作っていた人と人の輪のようなゾーンがぽっかりあく。新規加入者はほぼ増えないので単純にジリ貧である。

 その土地に長く住むつもりだったり、自らが率先して町内会を作っていく意気があるならぜひ町内会に入った方がいいが、すでにがっつり出来上がっている組織に入っていって身動きするにはかなりのエネルギーが必要だ。

 実際町内総会に出てみて「ゴミ捨て場の網を新しくする費用を町内会費から支払うか否か、その『決め方』を決めよう」という議論が、高齢者に見られる身の上話まじりの脱線を経ながらえっちらおっちら行われているのを見ていると、「自分は関わらなくてもいいかな」という気が兆してくる。

 筆者が越す直前に、「○○さんは町内会を抜けることを考えていて、うちもいい機会だから抜けようかな。地域清掃だけ顔を出すことにして」と話しているご近所さんがいた。おそらくこの感じで「よそが辞めるならうちも」と、町内会は連鎖的に求心力を失っていくであろう。