町内に外国人が増えたとき、その外国人と町内会をどう関わらせていくかによって、その町内会の趨勢は大きく異なっていくであろう。巻き込めば、外国人を加えた新たな町内会として様変わりしながらも運営されていくはずだ。反対に、拒絶や断絶などがあれば、その町内会はいよいよ消滅していくはずである。そして、その後そこで新たな自治グループが生まれるかもしれない。

 全世界において町内会のごとき小規模な自治グループは、地理的・政治的・経済的背景に基づき、必要に応じて形成されていくものである。日本の町内会は今まさにその内実を変えるか、一旦なくなって別の自治グループが生まれるのか、その岐路に立たされている。

世界で広がったフランス発「隣人の日」
老人の孤独死がきっかけ

 世界の自治グループの事情を見てみると、日本の町内会は結構珍しい方に分類される。もっとも特筆すべきは「参加強制でないのに実質参加強制」という点であろうか。国から参加が義務付けられている町内会のごとき組織には、たとえば中国の居民委員会がある。

 欧米諸国に町内会に類する組織はあまりない。マンションや大規模建売住宅地などの管理組合は存在するし、野球のチームや教会(教区)を中心にした地域コミュニティが形成されることはある。しかしドンピシャ町内会というと稀有で、日本の町内会がやっている地域清掃やゴミ収集うんぬんかんぬんを、欧米では行政サービスがすべてやってくれるのである。町内会的なタスクがない分ご近所とのつながりが希薄になりがちで、これが時に問題視されることもある。

 近所の老人が孤独死し数カ月発見されなかったことを受けて、フランスでは「隣人の日」と呼ばれるキャンペーンが1999年にスタートした。ご近所でつながりを持っていればこの悲劇は回避できたのではないかと、そのアパートに住む青年が住民に呼びかけて中庭で食事を楽しんだのである。

 そしてこの5~6月のどこかで行われる催しは全世界に広がり、今では世界各国で参加人数が1000万人を超すこともある一大イベントとなったそうである。

 ある識者はこれを「計画的な井戸端会議」と称した。ただちょっと食べ物や飲み物などを持ち寄るだけで参加できるカジュアルさがなんともよい。筆者は対人関係を極端に億劫に感じるのでそんなところに足を運ぶなんて想像しただけでおそろしいが、行われているのを傍から見る分にはなんとも美しく感じられる。