年に2回の地域清掃と年に1回の町内総会、あとはたまに回ってくる回覧板を右から左に流すくらいで、町内会に所属している必要性を実感しにくくなってきているのである。変な言い方になるが、町内会の加入は近年では同調圧力がその基盤だったから、1人2人と意志を持って抜ける人が出てくればその圧力は加速度的に弱まっていく。
また、その○○さんが町内会を抜けるのはなぜかというと「外国人の居住者が増えてきて、彼らは町内会には参加しないのに、彼らのために自分たちだけが町内の美観維持に努めるのは釈然としないから」であった。それはまあ確かに……と思える理由である。
外国人移住者とどう向き合うか
「話が通じない相手ではない」のに…
しかし誤解のないように書いておくが、筆者が住んだあの市には確かにインド系の移住者が激増していたものの、彼らは概ね日本のルールやマナーを守って生活しようとしているように見えたし、スーパーなどで会釈を交わすくらいの交流がふと生まれるときもとても感じが良かったものである。強いて挙げるとするなら、車の運転が荒い傾向があったくらいであろうか。
農家や工場で働いている外国人が、おそらくその雇用主であるおじいちゃんに軽トラックの横に乗せられて、ちょっとシャイな表情で何くれと世話を焼かれているのを見たことも何度かある。特に娘の保育園の同じクラスだった外国人家族は、不慣れな片言の日本語を操りながらもいつも満面の笑顔で挨拶をしてくれた。
私の目から見る限りだと、彼らは話が通じない相手ではなく、こちらにすり合わせてくれる意志のあるフレンドリーな隣人であった。
だがこうした観点は私の場合だと世代によって育まれた部分が大きく、他の世代には他の見え方があるはずである。高齢者、さらにその土地に長く住む人の中には、外国人の新居住者に、心理的な抵抗を感じる場合があることは推測できる。
インド人が日本の町内会に加入するケースも実際にあるし(こちらの記事でそのケースが紹介されている)、インドには村落総会や女性が中心となって運営しているSelf-Help Groupといった、実態は町内会とはやや異なるものの規模的には似ている地域コミュニティはあるので、インド人に町内会という概念を理解してもらうのはそこまで突拍子のないことでもないのだが、一度築かれてしまった意識の壁はなかなか乗り越えるのが難しい。