「大学名=学歴」になったのはどうして?
――もうひとつの理由はなんですか?
びーやま:大学受験を多くの人が経験しているということです。
スポーツでどんなに活躍したって、その競技を経験している人の数が大学受験を経験した人の数を上回ることはまずありません。
要するにそのくらい大学受験や、その結果というのは誰にとっても身近なものであり、自分ごとになりやすいのです。
その大変さを多くの人が共通認識として持っているという点で学歴は基準になりやすいと言えるでしょう。
――よく理解できました。ただ、学歴という意味だと大卒はあくまで大卒であり、東大が上で、そのほかが下とかはないですよね?
どうして、そこには序列が存在するのでしょうか。
びーやま:時代が大きく関係していると思います。
かつては大学にいくだけですごいという時代でしたが、今ではそうではありません。選ばなければ誰でも大学に進学できます。
そうなったときに、なにが基準になるかといったら難易度を指す偏差値が大きな指標として機能するようになったのでしょう。
また、どこからが高学歴というのは誰かが明確に線引きしたものではなく、世間の空気的になんとなく決まっているものです。そのため「大学に序列などない!」といった議論をすること自体、意味はあまりないと個人的には思います。実際そこには序列が存在するわけですから、序列を否定するのであれば、その人自身がなにかしらの行動を起こして序列のない世の中にしていけばいいのではないでしょうか。
ただ一点フォローするとすれば、誰もが偏差値の高い大学に行けばOKだとは僕も思いません。ですが、その人が目指せる一番上の大学を目指してほしいなとは思います。人によってはそれが東大でしょうし、人によっては地元の国公立でしょう。MARCHだって、日東駒専だって構いません。
どんな大学であれ、その人がちゃんと努力をしないと入れない大学を志望してみてほしいなと思います。高い目標を持って勉強をするのはすごくいいことですし、偏差値的に行ける大学をなんとなく目指すのは、残念ながらあまり成長につながりません。
最初は無謀でもいいから、「行ける大学」よりも「行きたい大学」を目指してみてほしいです。