問題の本質は「なぜ、ドルが国際的な基軸通貨として認められているか?」だ。その理由は、アメリカに対する信頼があるからだ。
それは具体的には、つぎのようなものだ。
一人の独裁者に権力が集中してしまうことがないように、三権分立が機能している。そして中央銀行の独立性が保障されている。このような制度的な仕組みによって、バランスのある安定した政策が実行される。
そして、自由な研究活動が認められるので、能力のある人々が世界中から集まってくる。基礎的な研究開発に資源が投入され、新しい技術が開発される。こうしたことによって新技術が開発され、新しい経済活動が興る。そして経済成長を持続できる。
それに加えて、軍事的・地政学的な優位性を保持している。このため、ドル資産を保有してもデフォルトの危険は少なく、将来、十分なリターンを伴って回収できると確信できる。
このような要因が重なり、ドルは基軸通貨としての地位を維持している。そして、この地位こそが、アメリカが経常収支の赤字を継続できる根本的な理由なのだ。
つまり基本は、アメリカの経済が決して破綻せず、将来にわたって成長を続けるという信頼だ。
トランプ政策が踏みにじる
三権分立や自由貿易、科学技術投資
「アメリカの経常収支赤字は継続可能か?」という問題は、しばしば議論の対象となってきた。しかし、現実には、アメリカの経常収支は1980年代以降、基本的に恒常的な赤字で推移している。これは上記の説明が正しいことを実証している。
アメリカの仕組みは、これまで世界中から揺るぎない信頼を勝ち得てきた。
アメリカに対する投資は、単に高い収益を期待できるというだけでなく、アメリカの法的安定性と透明性確保のため、債務不履行のリスクが極めて低いと見なされてきた。この信頼は、長年にわたって裏切られることなく維持され、その結果、アメリカは経常収支の赤字を続けて、繁栄を享受し続けることができたのだ。
この仕組みは、いわば「アメリカが世界経済の信用創造の中心であり続ける」という構造そのものであり、基軸通貨ドル体制を支える根幹でもある。
しかし、トランプ大統領は、この最も重要な制度的枠組みを根本から揺るがす政策を打ち出している。
第1に、自由貿易の原則を踏みにじり、貿易相手国に対して恣意的かつ高圧的な関税を課すことで、国際的な経済秩序を混乱させている。このため、アメリカは「信頼できる経済パートナー」という立場を自ら傷つけている。
第2に、国内政策では、基礎科学や大学の研究資金を削減し、長期的なイノベーションの土台を崩そうとしている。科学技術への投資こそがアメリカの競争力の核心であり、ITやバイオテクノロジーなどの成長分野は、こうした持続的な基礎研究から生まれてきた。これを破壊することは、国家の成長エンジンを停止させるに等しい。
要するに、トランプ政権の政策は、アメリカが長年築き上げてきた「繁栄の基本メカニズム」を根底から破壊しつつあるのだ。それは国の根幹を揺るがす愚策と言わざるを得ない。
制度への信頼が崩れると何が起こるか?
赤字持続可能の「特権」失い、深刻な負担
アメリカの制度に対する信頼がもし揺らげば、外国の投資家はこれまでのようにドル資産を安心して保有できなくなるだろう。信認低下の兆候はすでに表れており、今年の4月以降、外国人投資家による米国債の売却が顕著になっている。
米国債の売却が進めば、その価格は下落し金利は上昇する。この動きは市場からの警告シグナルであり、「アメリカは現在のように経常赤字を無制限に続けられるのか」という根源的な疑問を突き付けるものだ。
仮に、基軸通貨国としての信認が損なわれれば、アメリカ経済はこれまで享受してきた「赤字の持続可能性」という特権を失うことになる。それは、財政・金融の両面で深刻な負担を強いられることを意味する。
(一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)