「念のため会議」を求める5つの心理的背景

1. とにかくリスクを回避したい

「もし何か漏れていたらどうしよう…」「あとから問題になったら責任を取れない」

このタイプの人は、不確実性に対する極度の不安を抱えています。彼らにとって会議は、想定外のリスクをゼロに近づける「保険」のような存在です。しかし、リスクを避ける考え方は、たいていのケースで過剰な防御反応を生んでいます。そして、本来不要な工程を積み重ねることになります。

実際の職場では、すでに十分な検討が行われているプロジェクトでも、「念のため」という名目で追加の会議が設定され、「念のため、あの人も呼んでおこう」というケースが頻発しています。これは、仕事の生産性を上げる事よりも、失敗への恐怖が勝ってしまっているから起きています。

2. 責任を分散したい、「全員賛成」をつくりたい

「みんなで決めたことなら自分一人の責任じゃない」「誰かが反対していれば自分は安全」

このような考えで「念のため会議」がされる場合があります。これは「責任を拡散させて、薄めておく」という発想の典型例です。個人で意思決定を行うプレッシャーや責任から逃れるため、無意識のうちに集団での合意を求める心理が働きます。会議という場で「共犯者」を作ることで、心理的負担を軽減しようとするわけです。

同じように、「全員に意見を聞かないとあとで問題になるかもしれない」と考えられるケースもあります。それぞれのメンバーがいろんな意見を持つことは自然ですし、関係者全員の意見を聞くことは重要です。しかし、この配慮が過剰になると、「全員がOKしないと進められない」となり、意思決定のスピードがかなり低下します。

3. 「仕事をしている感」を得たい

「動いているアピールをしたい」「自分も会議に出席していることを示したい」

自分のデスクで黙って考え事をしていても、仕事をしている感は得にくいですし、まわりからも評価はされにくいです。一方で、常に会議の予定が入っている人は「ものすごく忙しい人」「すごく働いている人」に見えることがあります。

実際の成果よりも「頑張っている姿勢」が評価されることがありますね。この環境下では、会議に参加することが自分の貢献度・仕事している感をわかりやすく示す最も手軽な手段となってしまうのです。リモートワークだとさらに、この傾向は強まります。

ただし、「会議に出ている=仕事をしている」という図式が組織文化として根付いてしまうと、本来の業務効率とは無関係に会議の数が増加していきます。

4. 取り残されたくない

「自分だけ知らされていない情報があるかも」「自分も把握しておきたい」

そう感じるビジネスパーソンもいます。

組織によっては、「自分だけ知らない」ということが疎外感につながることがあります。ぼくも大企業にいたとき、会議で決めたいことを事前に参加者に共有(根回し)しておかなければいけませんでした。そうしないと「俺は聞いていない」とへそを曲げて、反対されてしまうからです。

裏を返すと「知っておきたい」「自分も把握しておきたい」という意識を捨てられず、任せたはずの案件に首を突っ込んだり、すべての会議に出席したいと考える人もいるわけです。

そこまでではなかったとしても、「会議に参加していれば『話題に乗り遅れない安心感』」があります。ぼくらが根本で持っている「所属欲求」が、会議に参加することで満たされてしまい、知らず知らずのうちに「自分も会議に出たい」と思うようになってしまうのです。会議に参加することで、組織の一員としての居場所を確認し、心理的安全を得ようとします。

特にリモートワークが普及し、他のメンバーとの接点が減少していると、会議は貴重な「つながり」の場として機能している側面もあります。しかし、この欲求を満たすために非効率な会議が増加するのは本末転倒です。

5. これまでの習慣を継続してしまう

「○○部では会議を開くのが当たり前」「会議を開かないと進め方がおかしいと言われる」

ずっとこのやり方でやってきたから、という理由で会議を続けている組織もあります。惰性で続けている、という感じですね。意味がなくなっているとうすうす感じつつも、「長年やってきたことを変えたら、どこかにデメリットがあるかもしれない」「であれば、面倒だからこれまで通り続けよう」と考えるようになります。どちらかというと大企業に多いパターンかもしれません。