
芸人のオモロー山下氏が今、投資家として活躍しているのをご存じだろうか。お笑いコンビ「ジャリズム」での栄光と挫折を経験後、「山下本気うどん」を開業。店は大繁盛の人気店となり、商標権売却で得た資金を元手に株式投資に励んだ結果、今や、“億り人”で“FIRE”状態だという。インタビュー前編では、若手芸人時代の話から、飲食店経営が軌道に乗るまでの紆余曲折を語ってもらった。(ライター 橋本未来)
吉本興業のギャラは1万円でも
切磋琢磨した若手時代
オモロー山下氏は大学卒業後、養成所のNSC吉本総合芸能学院に入学し、渡辺あつむ氏(ピン芸人「世界のナベアツ」でも活躍。現在は落語家、高座名は桂三度)とお笑いコンビ「ジャリズム」を結成。周囲の芸人たちがバイトとオーディションに明け暮れる中、二人はいち早く頭角を現したと話す。
「デビュー2年目から、いろいろとお仕事をさせてもらえて、バイトしなくても生活ができるようになっていました。ぜいたくができるほどでは、なかったですけどね」
当時、大阪・心斎橋にあった吉本興業が運営の「2丁目劇場」を拠点に、テレビやラジオなどで活躍するようになった二人。若い女性らから黄色い声援を浴び、多忙な日々を送るようになる。が、人気とは裏腹に懐事情は厳しかったとか。
「そんなに儲けてはなかったですよ。だって、普通、若手芸人は学園祭で稼ぐんですけど、ぼくらは1校のギャラが1万円でしたから(笑)。一時期は、シーズンに20校ぐらいに行きましたけど、それでも20万円なんで。今は、吉本のシステムも改善されているらしいですけど」
ギャラこそ安かったが、「めちゃくちゃ楽しかった時代」と話す山下氏。今や全国区で活躍する芸人らと切磋琢磨しながら、仕事は真剣に取り組んでいたという。また、宮迫博之氏を筆頭に、たむらけんじ氏や宮川大輔氏らと仲が良く、いろいろな遊びに明け暮れていた。
やがてジャリズムは関西キー局全てにレギュラーを抱えるほどの人気コンビに。そして、『アメジャリチハラ』(テレビ朝日系列/1996年~1997年)で全国へ進出する。