
よい質問は相手の心を開くが…
「どうしてそう思ったんですか」「その時どんな気持ちでしたか」
先日、私はファシリテーション研修に参加した。ファシリテーションとは、会議やミーティングで、参加者全員が積極的に意見を出して議論が円滑に進むようにかじ取りをすることを言う。
研修では、冒頭の問いかけを何度も繰り返した。参加者は2人一組になり、相手の話にうなずきながら質問を重ねていく。聞く側は否定や評価を挟まず、あくまでも相手の本音を引き出すことに徹する。
実際、質問されると人はよく話す。普段は控えめな若い知人が、自分の失敗談を笑いながら語る様子は印象的だった。講師は「良い質問は相手の心を開きます」と説明していたが、確かにその通りだ。上手に聞いて心の扉を開けば、有益な答えが返ってくる。
だが帰り道、私はある種の違和感を抱えていた。質問されない限り、心を開けなくていいのか。いや聞かれなくても、心の内を話すべきではないか。そんな問いが頭から離れなかった。
ファシリテーションの技法が有用であることに異論はない。しかし技法の意図に反して、「聞かれない限り、心を開かなくてもよい」という空気を助長するのだとすれば、組織にとって決して健全ではない。
2020年にパワハラ防止法が施行されて以降、管理職の態度は劇的に変化した。かつては「(部下は黙って)言われたことをやっていればいい」「ダメな部下は無視する」といった威圧的な態度が珍しくなかった。しかし、今では「心理的安全性(組織の中で自分の考えを誰に対しても安心して発言し行動できる状態)」が重視され、上司は優しく丁寧に部下と接するようになった。
会議で黙っている若手に対して、「○○さん、無理にとは言わないけど、気になることがあれば言ってね」と気遣い、会議後には個別にチャットでフォローしたりする上司の姿も珍しくない。こうした配慮は、若手社員のメンタル面での安定や、組織内の雰囲気の改善に一定の効果をもたらしている。
だが、その“優しさ”が過剰になると、別の問題が生まれる。