“察してくれる上司”の功罪
ある会社のリスク評価プロジェクトの検討会議での出来事だ。
外部コンサルタントの私は、プロジェクトにおける法令面でのリスクに気づいていたが、社内の出席者は誰もそのリスクについて発言しない。知らないはずはないのだが、担当責任者も何も言わない。議事の司会担当者も特に聞かない。役員も無言である。私が仕方なく「あの問題はどうなっていますか」と尋ねると、初めて担当者がぼそぼそと語りだした。すると他の人も追加でコメントし始めた。最近はこんな場面が顕著に増加していると感じる。
もちろん、質問することが私自身の役割であるから、会議の参加者全員が、私からの問いかけを待っていたのかもしれない。ただ、そこに集っている人は会社から役割を与えられたプロジェクトメンバーである。したがって、聞かれなくても自ら語るべきではないかと思ってしまうのだ。
「聞かれたら話す」は、一見すると礼儀正しく思える。質問されて発言する人も、「請われて発言する」わけだから、ある意味楽だ。しかし、そういう態度は、組織における情報の流れを著しく停滞させる。
聞かれなくても言おう!沈黙は“無いこと”と同じ
一方で、「聞かれたら話す」とは正反対の文化が根づいている企業もある。
ある企業の製造現場では、機械の異常音や振動のわずかな違いにも、現場の作業員は即座に反応し、報告する。「誰からも聞かれなかったので、言わなかった」は通用しない。「気づいた人が言う」が徹底されている。これは単なる現場の“マナー”ではない。危機を未然に防ぎ、チーム全体のパフォーマンスを維持するために絶対不可欠な“ルール”なのだ。
会議においても、最初から本音で話すというのがコンセンサスで、その場で何も言わずに後から陰口を言ったり、文句を言ったりするのは絶対NGだ。
管理職も、部下に“優しく”はない。言いたいことを言って、聞きたいことを聞く。メンバーも言いたいことを言う。どちらも忌憚なくものを言えるから、心理的安全性も十分高いということになるだろう。というより、むしろ“率直”な会社と言う方が適切だ。ちなみに、この会社は業績的にも優秀な成績を継続的に残している。