それなのになぜそのときは虐待が止まらず、六法全書を読んでから行動が変わったのだろうか。

 実は、このAさんは自閉スペクトラム症があり、他者の立場に立てず、相手の気持ちを理解したり配慮したりすることが苦手なところがあった。知的な能力は標準的であるにもかかわらず、抽象的なことを理解するところは一般の人よりもかなりずれていた。

 そのため、「愛情をかけてあげてください」という児童福祉司の言葉の持つ意味がしっかり伝わっていなかったのではないかと考えられた。現に、Aさんは「愛情」とはどういうことを示すのか、それを示す行動とはどういったことなのかをよくわかっていなかったのである。それが児童福祉司との面接でも何か所か見られた。

 Aさんからすると愛情とは、娘が言うことをきかなかったりAさんの期待していることをしなかった場合、手を上げて叱ったり行動を正したりすることだと受け止めている節もあったのかもしれない。

 叩かれた子どもの気持ちよりも、よい子になってもらいたいというAさんの気持ちが優先され、それが愛情だと理解していたと感じられた。

 それゆえに、児童福祉司からの「もっと愛情をかけてあげて」という言葉がAさんにとっては、相手の気持ちを尊重するよりも、娘を何が何でもよい子にさせるという意思を強くしなければという考えにつながり、これまで以上に虐待が深刻化していったと考えられる。

「虐待防止」に有効な方法を
親と一緒に考える

 確かに、一部の自閉スペクトラム症の人の中には、特定の状況では、「愛情をかける」というのがどうすることなのかわからなかったり、あるいは「親密になる」ということがわからなかったりしてしまうという場合も見受けられる。

 定型発達の人であれば、「愛情」や「親密」というのがどういうことかというのは辞書での定義のように明確に述べられなくても、なんとなくこういうことだというのが共通理解として持っている。

 しかし、自閉スペクトラム症のある人の中には、そんな共通理解とはなりにくい、独特の捉え方をしている人がいることも珍しくない。