世間の耳目を集めてしまった
悠仁さまの大学進学の行方

 社説が書くように悠仁さまの責任は重いものがある。

 高校3年生といえば、大学受験の真っただ中にあった。世間では、「東京大学進学説」がしきりに取り沙汰されるなど、当時、悠仁さまの進路が大いに注目されていた。秋篠宮ご一家の公的な活動などを補佐する宮内庁皇嗣職は、2024年3月29日、悠仁さまの進学問題などについて次のように発表していた。

「親王殿下は、お小さい頃からご両親殿下とともにお出かけになり、それぞれの土地の自然や文化、歴史を学ぶ機会を持ってこられました。その中でも、ご自身が非常に関心をお持ちのものの一つが自然誌で、昆虫などやそれらの生息環境の観察や調査をされたり、書物を調べられたり、専門家の話を聞かれたりしながら、フィールドワークを行ってこられました。このような過程において、ご自身が探求されたいことをさらに学び、幅広い視野を身につけることを目指し、ご関心のある分野を学ぶことができる大学への入学を目標に、熱心に勉学に励まれているようにお見受けいたします」

 要点は、「関心のある分野」を学ぶことができる「大学への入学」を目標に、勉学に励んでいる……ということだったが、それが、筑波大学生命環境学群生物学類への進学だったわけである。

紀子さまが明かした
18年間の悠仁さまの足取り

 悠仁さまが成年となった5日後の2024年9月11日、母親の紀子さまは58歳の誕生日を迎えた。毎年の誕生日にあわせて宮内記者会から質問が出されている。それに対して紀子さまは真摯(しんし)に文書で回答しているが、この年の内容は、母親から見た「わが子の成長記録」とも呼べる貴重な内容のものだった。

「長男の悠仁が誕生してから18年という年月が経ったことを感慨深く思っております。

 長男が誕生したとき、お印(身の回りの品につける徽章)にちなんで親しい人たちからお祝いに贈られた高野槇が、ずいぶんと大きく成長しました。その近くには池があり、周辺には水草が繁り、鳥のさえずりや虫の鳴く声が聞こえます。