小さかった頃、クヌギやコナラの林でカブトムシを探し、その幼虫を育て、烏からす山椒の葉につくアゲハチョウの幼虫を見つけては観察していました。また、にぎやかに鳴くセミ、飛び跳ねるバッタを追いかけるなど、さまざまな虫に関心を持つようになりました」
「いつしか、自分の指よりも大きいトンボを手にとり、間近で複眼、翅や肢の特徴や、放したトンボの飛び方を観察して“これはなんだろう”“なぜだろう”“どうしてだろう”と昆虫の図鑑で調べるようになりました。長男が幼稚園や小学校低学年のとき、水分補給係とトンボ見つけ隊の一人として、リュックサックを背負って一緒に野山の水辺のある場所へよく出かけた夏の日を懐かしく思い出します」
このように、紀子さまは綴っている。
トンボの羽化から産卵までを
根気強く撮影した悠仁さま
そのうちに、悠仁さまは山や川に出かけ、多様な自然環境に棲すむトンボの羽化から産卵行動までの生活史を観察・記録するようになった。紀子さまの回想はこう続いていた。
「あるとき、ヤゴの夜間の行動を、ビデオカメラで記録しようとしていましたが、ヤゴが移動したために思いどおりに映像を撮ることができず、試行錯誤を繰り返しながら根気強く記録を続けて、ついに撮影ができたことも心に残っています」
それほどまでに悠仁さまのトンボ類への関心は深まっていた。悠仁さまが10歳のとき、私は、秋篠宮さまと次のようなやりとりをしている。私の当時の取材メモから紹介したい。
「どうして、悠仁さまは虫がお好きなのでしょうか?」
私が、このように尋ねたところ、秋篠宮さまからは、
「なぜ、好きなのか理由はわかりません。子どもは昆虫が好きでしょう」
との答えが返ってきた。じつは、秋篠宮さまも小さい頃、昆虫が大好きだった。上皇ご一家は、皇太子時代に赤坂御用地にあった東宮御所で暮らしていた。御用地の林に、上皇さまが考案した手製の虫とり装置を置いていた。それは、誘蛾(ゆうが)灯に集まってきた虫が、その下にあるじょうご状の管を通って虫カゴの中に集まる仕組みだった。