許されるはずはないし、完全に向こうが悪いと思うのだが、声高に先方の非をあげつらっていれば、それを正してくれる正義の使者が現れて、相手を成敗してくれるわけでもない。

 では、町内の誰かに会うたびに愚痴っていれば、いつか何かがうまく転がるだろうか。そういうこともあるかもしれないが、たいていは「大変ね~」と言われるだけで終わりである。むしろ、ずっとぐちぐち言っている陰気で厄介な人、というレッテルを貼られる場合すらある。

 不利益を改善したいなら、自分が解決に向けたアクションをしなければならない。

 なぜ、正しいのは自分なのに、間違った行いをする他人のために時間やお金といったコストを払わなければならないのか、と思う。理不尽であるし、そんな世の中はおかしい。だが、困っているのは自分なのだから、アクションをする方が得である。

誰もあなたのために動いてくれないなら
あなたが状況を変えるしかない

 改善策はいくつか思いつく。私がその立場なら、黙って引っ越すだろう。

 だが、金銭的な問題だったり、持ち家だったりで、容易に引っ越しできない事情もあるかもしれない。その場合は、分別が行われなかった日とごみの内容をデータとして記録して残し、町内会や自治会に相談するという手もある。

 しかし、分別をしない隣人が地域の有力者で、誰も味方についてくれないかもしれない(そういう立場で便宜を図ってもらえる人だからこそ、ルール破りが常態化しているのかもしれない)。そうであるならば、簡易裁判所で調停を申し立て、第三者を入れて話し合いをすることもできる。功を奏しない場合は、最終的に、ごみの排出を差し止める訴訟も可能である。実際にそれで、差し止めが認められた事例もあるという。

 なぜ、ごみの分別をしないという非常識な人間がいるせいで、自分がそんな七面倒くさいことをしなければならないのだ、と思うかもしれない。至極まっとうな考えである。

 それがなぜかといえば、自分以外の誰も、自分のために闘ってはくれないからである。あなたが不利益を被っていても、それを主張すれば道理を正してくれる人がいるわけではない。状況を変えられるのは、あなたしかいないのである。

 1つだけ補足すると、私は政治活動やデモを否定しているわけではない。国民主権の国で、民意が反映される政治において、他の国民に自分の考えを伝えるという立派な活動である。

 今回の件でも、町内会に味方を増やして、分別をしない人に圧力をかけるという方法だって立派な問題解決の1つである。私が言いたいのは、行動せずに文句を言っていても始まらないよね、というその一言である。