東京、大阪、名古屋の共通点
東京、大阪、名古屋の共通点は何でしょうか。それは台地と沖積平野を持ち、海に面しているという地形的な特徴です。ちなみに台地とは、平野の中でまわりよりも一段高い台状の地域のことです。
台地は、離水作用(相対的に海面が低下する、あるいは地盤が上昇すること)によって、海岸線が沖合方向に移動して台地状となったもので、長い間の圧密により固結度が高まった結果、硬い地盤を持ちます。
沖積平野は、河川の堆積作用(運ばれてきた土砂などが残ること)で形成された平野で、形成時期が新しく地盤が軟らかいのが特徴です。
城郭との相性もよかった
東京、大阪、名古屋には大きな城郭がありました。城郭というのは、見栄えの良さ、防御力の高さなどの条件をもとに建築されます。
江戸城は武蔵野台地の東端、大坂城は上町台地の北端、名古屋城は熱田台地の北西端にそれぞれ構築されていました。
台地上であれば、周辺を見渡すことが可能となり外敵の侵入を発見して迎え撃つことが可能です。また段丘崖を背後に擁するので、外敵が侵入しにくくなります。さらに台地の末端は見栄えの良さを作り出しました。周囲に威厳を示すことができたと考えられます。
また、沖積平野は遠浅(遠くまで浅い)の海岸を持つため、水深は浅くなります。そのため、大型船舶の接岸が難しかったのですが、これは城の防御力を高めることにつながりました。かつて幕府が築かれた鎌倉も、遠浅の海岸を持つ場所として知られています。そのため、船を利用して海から攻撃することが難しかったのです。
こうした背景もあり、東京、大阪、名古屋は、港湾都市としての発展には時間がかかりました。港湾都市といえば、水深が深く、岬の影響で波穏やかな海域を持つ横浜や神戸が知られています。
「下町」と「山手」の違いとは?
城下では商工業が発達し、城下町を形成し、これを基に大都市へと成長していきました。そのため「下町」と呼ばれました。一方「下町」に対して、台地上を「山手」と呼んでいました。このことからもわかるように、城下町は沖積平野に成立しました。
例えば、東京の下町の代表例は日本橋、京橋、神田、深川、浅草などです。山手の代表例は麹町、麻布、赤坂、牛込、本郷、小石川などです。
明治時代になると、日本は人口増加が著しくなります。そのため山手からさらに西側の武蔵野台地へと都市が拡大していきます。下町→ 山手→ 郊外の順に都市が発展したのです。
なぜ人々は東京に集まるのか。可容人口が大きいというのは理解できましたが、その「土台」には地形的な要因が隠されていたのですね。
(本原稿は『経済は地理から学べ!【全面改訂版】』を一部抜粋・編集したものです)