李在明大統領の誕生は、「角栄的なるもの」の韓国版再来

 もちろん、両者には決定的な相違もある。田中は戦後日本の高度経済成長の波に乗った「利益誘導型土建政治家」であり、企業献金と政官業の癒着を象徴する存在だった。対して李在明は、財閥批判や社会福祉の拡充を掲げるリベラル色の強い改革派であり、その支持基盤も都市貧困層や若者にシフトしている。

 それでもなお、「エスタブリッシュメントへの挑戦者」「大衆のための実務家」「敵を作るカリスマ」「疑惑と信望が表裏一体」といったキーワードで結ばれる両者の姿は、時代と国を超えて不思議な共鳴を見せる。

 政治家・田中角栄は日本の政治に「角栄型」とも言うべきモデルを残した。そのモデルは、日本政治がグローバル化・情報化・脱官僚化の波に飲まれた後も、人々の記憶のどこかに「庶民の味方」として息づいている。

 2025年、李在明大統領の誕生は、「角栄的なるもの」の韓国版再来と見ることもできる。政治の形式がいかに変われど、政治家とは本質的に「物語の存在」である。李在明の物語は、韓国社会がどのような未来を選ぶのか、その鏡でもあるのだ。

「従北思想」のレッテルを超えて

 李在明には「ポピュリスト」「庶民派」「改革派」などさまざまな呼ばれ方をしているが、中でも韓国内でよく言われているのが「従北思想」というレッテルである。従北思想とは、北朝鮮シンパ、左派ということだ。

 私は、かつて日本国内の朝鮮学校で12年間学び、後に韓国社会で一定期間を過ごした。日韓両国間での体験を踏まえると、李在明という政治家は、単純に「従北左派」な人物ではないという印象を受ける。

 韓国社会では、政治・教育・メディアから日常会話に至るまで、あらゆる場面で「従北的かどうか」という判断基準が働いている。分断国家として北朝鮮と対峙する現実を考えれば、こうした防衛意識は理解できる。しかし同時に、現実的な対北政策や対中関係の調整すら「従北」「親中」と単純化して批判する風潮も根深く存在する。

 確かに李在明を支持する市民団体、労働組合、進歩系政治団体の多くは「親中・従北」的な立場を取っている。だがそのことをもって、李在明自身を北朝鮮に忠誠を誓う「従北左派」と決めつけるのは、政治の複雑な現実を見誤る危険性がある。