むしろ注目すべきは、李在明の巧妙な政治バランス感覚だろう。対米関係では強硬な反米路線ではなくバランス外交を志向し、対中関係でも明確な親中路線というより経済的現実を重視した実利的な姿勢を見せている。

 時折見せる「従北的な言動」も、進歩系支持基盤を維持するための政治的パフォーマンスであり、必ずしも彼の本音を反映しているとは限らない。これは韓国社会特有の「本音と建前の使い分け」文化に通じる部分がある。私自身、この微妙な使い分けができずに韓国社会で苦労した経験を持つだけに、李在明の政治手法の巧妙さがよく理解できる。

日韓関係への影響と今後の展望

 そうした視点から見ると、李在明の登場は韓国政治において「思想で語る政治」から「現実に根ざす政治」への一つの転換点になる可能性がある。たとえポピュリズム的でも、大衆の実利に敏感であることは、硬直した理念政治からの脱却とも言える。

 ただし、気になるのは文在寅政権後半で見られたような、反日ナショナリズムへの回帰が李在明政権でも起こるのではないか、という点だ。とりわけ外交的に苦境に立った際、国内結束のために「反日カード」が使われる可能性は高い。

 そうなった場合、日本側としては安倍晋三元首相のように、原則を守りつつも必要な協議には応じるという、バランスの取れた強い対応が求められるだろう。感情に流されず、国家としての品格を保ちながら、毅然とした対応が必要だ。

 在日韓国人として日本と韓国の間で揺れ動いた人生経験は、私に両国の政治文化の違いだけでなく、その背後にある「物の見方のクセ」も教えてくれた。韓国における李在明という現象も、その文脈の中で初めて立体的に見える。

 彼は「従北」なのか、「改革派」なのか、それとも単なる「現実主義者」なのか。いずれにせよ、今後の彼の振る舞いは韓国社会にとって一つの試金石であり、日韓関係の未来を占う鏡にもなるはずだ。

 李在明という政治家の真価は、これから始まる大統領としての実績によって判断されるべきである。田中角栄が「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれたように、李在明もまた独自の政治手法で韓国社会を変革していくのだろうか。それとも、時代の波に飲まれてしまうのだろうか。

 韓国政治の新たな章が始まった今、私たちは冷静な目でその行方を見守る必要がある。