つまり我々には、「核の影(nuclear shadow)」がちらつくなかで、グレーゾーンや通常戦争の発生を抑止するとともに、もし抑止が破れて武力衝突に至ってしまった場合には、相手の核エスカレーションを阻止しながら、我々にとって有利な形で紛争を終結させる方法を模索する、という難題が突きつけられているのである。

いくら冒険主義的な国家でも
全面核戦争には踏み切れない

 この課題について詳しく議論を進めていく前に、2つの留意点について言及しておきたい。

 まず、上記の文脈で我々が考慮すべき核エスカレーション・リスクとは、地球が滅亡するような全面核戦争のリスクとは異なる。無論、そうした可能性がまったくないわけではない。

 しかしながら、我々の仮想敵国が考えるセオリー・オブ・ビクトリーは、米国(とその同盟国)の介入を心理的・物理的に妨害するとともに、米国側からのカウンター・エスカレーション(対抗を意図したより重大な反撃)をも思いとどまらせるものでなければならない。

 仮に限定核使用によって、ウクライナ軍や米韓連合軍の地上戦闘部隊、あるいは沖縄やグアムに集結する航空戦力を一時的に阻止できたとしても、その結果として米国側からさらに耐え難い反撃を被る可能性が高い場合には、それまでに獲得した領域の保全や目標とする領域への再侵攻が困難になるばかりか、場合によっては体制の存続すら危ぶまれることになり、結果的に戦略目標を達成できなくなってしまうからである。

 したがって、将来我々が直面しうる有事で核兵器が使われるとすれば、最初の一手はある程度限定的なもの――相手の軍事能力、工業生産能力、人口の大部分を排除することを目的としないレベルの核使用――にとどまる可能性が高いと考えられる。

戦闘で劣勢に置かれれば
アメリカも核を使うかもしれない?

 もう1つ留意すべきなのは、限定核使用の誘因は、中国、ロシア、北朝鮮のような現状変更国側にだけ生じるものではないという点である。