自分のためだけの運は面白くない

羽生:ずっと勝ち続けてこられて、正直「こんなにツイていていいのかな?」と思われたことはなかったですか?

桜井:ありますよ。だから他の人に運をあげるのです。現役の頃は、大きい勝負を打ったあとに、雀荘で小さい勝負を打っていました。そんなところでも、かなりレベルの高い子がいるじゃないですか。そんな中で、わざと運を落として打っていました。

 そこで、誰が勝つか、「この人が1着、この人が2着、俺が3着」と紙に書いて置いておくのです。その通りになるかどうかが、私の勝ち負けでした。

羽生:ちゃんとその通りになると。

桜井:だいたいはそうですね。他にも子どもを連れて麻雀の大会に出たときに、子どもが賞品を見て「25位の大工セットの賞品が欲しい。あれがいい」と言ったことがありました。

 大人がいいと思うのは、上位のほうの賞品ですが、子どもは「あれがいい」と言う。「よし、分かった」と言って打つと、ちゃんと25位になりました。

羽生:トップならともかく、中途半端な順位はかえって難しいと思います。

桜井:それは、そうですね。さらに、たくさんの人が出場しているわけですから、もはや読みとか調整とかそういうものではありません。でも、思えばそうなるのです。これはテクニックではありません。

 それも1回や2回ではありません。子どもと行って、「あれが欲しい」と言われるとそれを取らないといけない。優勝して、1位の賞品と25位の賞品を換えてくれるならいいけれど、それはできませんから。そういうのが面白いんです。

 他にも、いまだに雀鬼会の月例会の大会には私も出ますから、「じゃあ2着でも取ってくるかな」と女房に話して出かけたりしています。誰かに言っておかないと、正解にならないわけですから。

 そうすると、「何を言っているの、お父さん。うちは住所が22番よ、だから22位でね」と言われる。「そうか」と言って、それで22位を取らないといけなくなる。そうして22位を取ることが面白いのです。

羽生:そうやってツキや運を分かっているからこそ、かえって動揺するということはないのでしょうか?

桜井:ないわけではないのでしょうが、人様に比べると、私は動揺とか心配の分量が少ないのかもしれないですね。ただし、そうした相談はいっぱい来ます。心配事とかトラブルを20人分くらい、「お願いします。何とかしてください」と持って来られるのです。

 自分ではあまり心配事がないのは、たぶん私が自分のためには何もやらない男だからです。誰かのためだとやってしまう。それをしなかったら、自分にとって負けが何倍にもなるような気がするから、やるのでしょう。これは格好よく言っているわけではなく、世のため人のためでもなく、「こいつのため」と思うと、力が湧いてくるんです。

 そんなことを言いながら、一方で私は自分のことをもらってばかりだと思っています。行為にしろお金にしろ、人からもらってばかりという気持ちもある。だからこそ、「じゃあ、おまえは、人のために何ができるんだ」とハッパをかけられている。これは人徳でもなんでもなくて、自分が作った運命のようなものです。