運は手放してどんどん回していく
羽生:勝負をしていて幸せを感じるのはどんなときでしょうか。
桜井:羽生さんのような本物の勝負師に会うことです。すごい人と会うと、私も勝負師のはしくれとして心底、共感します。
あとは孫と遊んでいるときが幸せかな。だから「孫と遊んでやっている」「孫の面倒を見ている」という言い方をする、じいさん、ばあさんのことが分かりません。そういう台詞を吐けるのが不思議です。ふざけるなと。私は反対に、孫に遊んでもらっていると思っています。
それを「面倒を見ている、大変だ」と思うと、運が来ません。麻雀でも自分の能力で牌を操っていると思うのは過信で、本当は牌が自分と仲良く遊んでくれたような気がします。考え方、思い込み方ひとつで、運はいくらでも近くにあるんです。
羽生:つまらないことのために運を使わないようにしているのでしょうか?
桜井:そんなことはありませんよ。単に自分が良くなるための運は面白くないということです。
たとえば、ラーメン屋さんから出前をとるのに、「タイミングを計れ」と道場生に言います。今、雨が降っているとします。何回も外に行って、雨を見ていて、雨が小降りになったので、「今だ!」と電話します。
そうすると出前をする人は、「雨がやんでいて良かった!」「土砂降りのときに出前に出るよりも良かった!」と思うでしょう。自分は運が良かったなと。
そうやって、運は人にも配れるのです。そういうことは、けっこう意識してやったりしますね。
羽生:「金は天下の回りもの」と言いますが、運もまた天下の回りものなんでしょうね。
桜井:回っていけば気持ちいいですね。みんながそうすればいいのですが、どうしても溜め込みたがる。お金と同じで、来た物を溜め込んで出したくないとなるんでしょうね。
羽生:運を手放すと、自分のところに戻って来る感覚が分からないから、みんな怖いのでしょうか?
桜井:努力すると、努力したことを認めてもらいたいし、実になるようにしたいのでしょう。努力したものを手放したくないという気持ちが人間にあるからかもしれない。ここまでくるのに、相当努力したから放したくないと。しかし、物事って、できたと思ったらおしまいではないでしょうか。
ふつうは、今まで自分が出してきた実績や身につけた実力にしがみつきたくなります。羽生さんは、「実績はリセットするもの」とおっしゃっていますが、私の中では、「終わったらチャラ」という言葉がある。がんばった、勝ったというのは終わったら全部忘れてしまうのです。