関係性がある人間を
「推し」と呼ぶ違和感
ここでは、ホストがしばしばアイドル的な営業方法を実践し、労働市場をSNS上にまで拡大させたこと、それによって余暇の時間も労働資本として投入する「アイデンティティ労働」をしている現状を見てきた。
そして、アイドルとホストには労働者として共通している側面もありつつ、ホストはファンである客と相互行為を通して関係性を構築し、親密性の労働を「キャラ」を挟みながら常時行なっている点がアイドルとの差異であるとした。
推し活全般を見てみると、ホストのように「推し」との距離が近い業界は大量に存在する。
ホストのように「店舗」に所属するだけで推し活の対象になるのは、コンカフェなど水商売全体に言えることだ。
また、配信者やYouTuber、インフルエンサーのなかでも、事務所に所属せずにコンテンツを配信している人間は運営を挟んでいないため、「コンテンツ」としての自分と生身の自分自身の切り分けがうまくできない場合、どうしてもメンタルに影響が及びやすい。

誰もがSNSで有名になれるいま、誰もが推す側の人間として推しに影響を与えることもできるし、誰もが突然「推される」側として勝手に期待され、崇拝され、絶望されることもある。
簡単に誰かを推せる時代に、コミュニケーションが相互で取れる距離感の人間を「推し」と見なすことは、相手を偶像化し、都合の良い部分だけを切り取っているように感じてしまうのは筆者だけだろうか。
「キャラ」を挟んで親密性の労働をしている彼らは、自分をどこまで切り売りするかを日々考えなくてはならない。
自分の推しに対する期待が、時に推しの心身にネガティブな影響を及ぼす可能性を十分に意識して推し活を行なう必要がある。