今、企業が求めている能力は
鋼メンタルから美意識まで無数にある

「学力」で競った時代は、それはそれで容赦なく数値化・他者比較・序列化の洗礼を受け、つらかったでしょうが、「新しい時代の新しい『能力』」という、ふわふわしながらも案外「人として」とか、「生き残りをかけた」など強い表現とともに社会から要請されるのも、相当につらいものがあります。

「コミュ力(コミュニケーション能力)」「リーダーシップ」「主体性」などをはじめ、さらには「美意識」や「鋼メンタル」に至るまで、とらえどころのなさそうな精神性にまで「能力」の触手は伸びています。

 これが大事、これがないと立派な職業人にはなれない、などと言われたところで、何をどうすれば伸びるのか?そもそも何をもって「君のコミュ力って、偏差値70レベルだよね」みたいなことになるのか、てんでわからない。

 そんなふうに、「能力」は、ただでさえ仮構的な幻影なのに、輪をかけて複雑化・あいまい化が進み、まるで雲をつかむような話になっているわけです。こうしたよくわからないものに正当性を持たせて、「職場で傷ついた」と言えないのは……やはりなんだかなぁという気持ちになります。

今は個性がある人より
協調性のある人が選ばれる

 さらに(まだあるのか!)しんどいのが、複雑であいまいなその「能力」とやらが、やたらとブレる、という点です。

「人としてこのくらいできなきゃ」くらいの大口をたたくわりには、その求める「能力」が日和見的であるとは……なんとも徒労感を伴うものであります。確固たる「能力」が求められていたらいいのに、ということではもちろんないのですが。

 しばしば語り草となってきた「個性」なんていうのはその一例です。「自分らしさ」「個性」が大切だとされたかと思えば、数年単位で、それらのいわゆる就活で求める能力ランキングのようなものは、しれーっと、方針転換します。