フリマサイトで本命をゲット
届いてかぶってみると…
しかしどうしても欲しいので、そのデザインをパクったと思われる3000円くらいの廉価版を注文して、数時間後フリマサイトで本命のヘルメットが安く出ていたのを発見して、興奮のあまり呼吸が苦しくなりながら即注文し、結果手元に2つの似たヘルメットが届くことになったが、とりあえず準備は整ったわけである。
そして自転車に乗る機会が訪れ、シェアサイクルのポートまでヘルメットを小脇に抱えて歩くのがまず楽しかった(なお、この時持参したのは廉価版の方で、本命の方は小さすぎてまったく入らなかったため、あの購入時の一瞬私を興奮させただけのアイテムとしてその役目を終えた)。
自転車に乗る人でもシェアサイクル利用者はヘルメットをかぶる割合がとりわけ少ない。であるから、「あえて」わざわざヘルメットを持参している自分の安全意識が非常に高い気がして誇らしかった。子どもとすれ違うたびに「どうだいおじさんはヘルメットをかぶって偉いだろう。いっぱい真似していいんだよ」と、内心とても気持ちがよい。
内実はよく知らないが(詳しくは後述)、自転車先進国のヨーロッパなどではヘルメットに対する観念も発達しているのだろう、そして今自分も一介のヘルメット着用サイクリストとして、その末席に加わることができているのかもしれない――という気もして、普段は「欧米がなんぼのもの」という気概で生きているつもりなのだが、その先進性にちょびっと仲間入りできるかもしれないと妄想しただけで、やに下がってしまうくらい、己がミーハーで弱い存在であることを再確認した。
季節は梅雨到来の一歩手前であり、ぬるい大気の中を自転車で進めば肌を撫でる風が心地よい。ウキウキ頂点を持続させたまま15分ほど走ってようやく気づいたのは、どうもこのヘルメットも私にとっては小さいということだった。
両のこめかみをウメボシ(拳でグリグリやる昔の体罰)されているような心地であり、試しにヘルメットを脱いでみると解放感凄まじく、そのヘルメットをかぶることは二度となかった。廉価版の方は15分の楽しいサイクリングを提供してくれただけでその役目を終えたのであった。