さらし首に火あぶり…20万人が処刑された「品川の心霊スポット」隣の寺に参拝者が絶えない理由Photo by Satoshi Tomokiyo

品川区の一角に、およそ150年前まで実際に使われていた処刑場の遺構が残されている。天一坊や八百屋お七を始め、歴史に名を残す数々の人物の命を絶った、因縁深いこのスポットの背景を探ってみた。(フリーライター 友清 哲)

交通量豊かな国道沿いに
ひっそりと鎮座する

 東京都品川区、大井競馬場からほど近い場所に、知る人ぞ知るいわくつきの遺構がある。江戸時代の処刑場の跡地だ。1871(明治4)年まで実際に使われていた、なんとも物々しい史跡である。

 国道15号沿いという立地から、周辺は昼夜を通して非常に交通量が多い。この国道がかつての東海道であることを踏まえれば、往時から人通りの多いエリアであったと推察できるが、そんな喧騒に反してひっそりと、そしてどこか不気味なムードを漂わせて鎮座するのがこの鈴ヶ森刑場跡だ。

 建設は1651(慶安4)年。当時は、小塚原刑場(現在の荒川区)や板橋刑場(同・北区)と並び、江戸を代表する刑場のひとつであったという。

 日中に訪れればなんということのないスポットなのかもしれないが、筆者が訪ねたのは日が陰り始めた夕暮れ時。一見、手の込んだ庭園のような様相で、そのムードはなかなかに厳かだ。

 決して広い敷地ではない。間口40間(74メートル)、奥行9間(16.2メートル)という数字が江戸中期の検地によって記録されているが、立地が立地だけに周辺は開発が進み、現状残されているのはこれよりさらに狭いスペースだ。

 敷地内は厳格に仕切られているわけでもなく、誰でも自由に見学が可能。中に立ち入り、少しあたりを観察してみれば、嫌でも火あぶり台や磔台の遺構が視界に飛び込んでくる。

さらし首に火あぶり…20万人が処刑された「品川の心霊スポット」隣の寺に参拝者が絶えない理由京浜急行・大森海岸駅と立会川駅の中間あたりに位置する鈴ヶ森刑場跡 Photo by S.T.