隣の寺に眠る「最後の処刑者」
その墓には今も参拝者が
余談だが、この「鈴ヶ森」という地名には2つの由来が囁かれている。ひとつは近隣にある磐井神社の境内に、振ると音が鳴る鈴石(中が空洞になっている水酸化鉄)があったことから、鈴ヶ森八幡の別称が定着し、それが地名に転じたというもの。
そしてもうひとつは、吉原遊廓の創始者として知られる庄司甚右衛門が、1600(慶長5)年に関ヶ原に向かう徳川軍一行をもてなすため、この付近に茶屋を設け、暖簾の端に鈴を結んだことに因んでいるという説。人が出入りするたびに、爽やかな音色が鳴り響いたというから、江戸時代らしい雅な由来と言える。
現在、鈴ヶ森刑場の遺跡は、隣接する大経寺が管理している。そして鈴ヶ森刑場の最後の処刑者である元幕臣の渡辺健蔵は、この大経寺に墓が残る唯一の人物でもある。
旧幕府軍と官軍の争いが熾烈を極め、不安定な社会情勢に陥っていた明治初頭。庶民に乱暴狼藉を働く官軍に業を煮やし、宮家に直訴したことを謀反と見なされ、捕縛された渡辺健蔵は、民衆にとって英雄であったはず。
界隈で心霊スポット扱いされることも多い鈴ヶ森刑場跡だが、渡辺健蔵の墓には首から上の病気が治るご利益があるとされ、いまも多くの参拝者が訪れている。歴史には表裏があるという好例だろう。
おぞましいエピソードも多いこの遺構。しかし、江戸の歴史と文化に触れる、ダークツーリズムの貴重な現場と捉えることもできるはずだ。酷暑の時期だからこそ、夕涼みがてら足を運んでみてはいかがだろうか。
