サラリーマンでない職業なら退職金はないし、すべてのサラリーマンが退職金をもらえるとは限らない。あとは、きわめて確率の低い宝くじの当選くらいしかない。
つまり平均的な人間が、一生に1度か2度しかないまとまった財産獲得のチャンスが相続なのである。誰だってお金は必要だし、欲しいものである。霞を食って生きてはいけないのだ。
公的年金制度は、将来的には受給額の減少や受給開始年齢の引き上げが検討されているなど、見通しは明るくない。老後は年金以外に2000万円程度が必要とも言われているが、物価上昇を考慮すれば2000万円でも心もとないかもしれない。投資で増やしていく方法もあるが、リスクをともなうし、市場経済や国際情勢などを勉強することも必要になってくる。
ところが、遺産相続は、そういった勉強とは関係なく、“相続人”という立場だけで得られるのだ。その意味では、究極の不労所得とも言える。たとえ相続財産の総額が少なくても、濡れ手に粟の不労所得であるなら、誰しもが欲しがる。それも、少しでも金額が大きいほうがいいと思うのが、人間のサガとも言えよう。
兄弟姉妹の絆よりも
財産を優先するバカ者
長年にわたって相続問題を扱ってきた弁護士は「相続人の中に1人バカが入っていると調停はまとまらない。バカというのは、兄弟姉妹の絆よりも自分の財産的欲求を優先させる者のことだ」と筆者に述懐した。
相続は平等というのが大原則だ。平等に分けることで話がまとまるなら、調停にも訴訟にも至らないで済む。だが、それぞれの兄弟姉妹には、それぞれの歴史がある。
たとえば、長男は高卒で働かなくてはいけなかったが、次男は大学まで進学できた。三男はさらに大学院まで出ることができて、高収入の職業に就くことができた――といった状況は、長男にとっては不公平感のタネになるだろう。
同じ大卒でも、国立と私立では親に負担してもらった授業料の総額は違ってくる。
またたとえば、長女は結婚式や新婚旅行の費用を親に出してもらい、住宅資金も援助してもらい、産まれた子供は初孫としてお年玉やランドセルなどをたくさんもらった。