そして介護の重荷を背負うことは永遠になくなった。究極の不労所得が可能になったのだ。調停や訴訟になっても、前面に立ち、汗をかいて働くのは雇った弁護士だ。自分はその陰に隠れて涼しい顔をしていることができる。

 兄弟姉妹なんて、どうだっていい。自分には配偶者も子供もいる。兄弟姉妹の世話になんかならない。それに、兄弟姉妹の遺産の相続権が自分に回ってくることはまずない(他の兄弟姉妹に配偶者も子もいないときに、ようやく兄弟姉妹である自分が法定相続人となれる)。だから、兄弟姉妹とはもう音信不通になってもかまわない――そう考える人は案外と多いのが現実だ。

 兄弟姉妹の血の繋がりは「三下り半」同然の1枚の弁護士受任通知で、あえなく切れてしまうのだ。

「金の亡者たち」に
どう対応するべきか

 もしあなたの兄弟姉妹が上記のような金の亡者になってしまったとき、対応は大きく分けて2通りだろう。

 1つめが……財産が欲しくて親の介護をしたわけではないのだから、向こうが好きなようにすればいい。親の遺産などアテにしていないので、くれてやる、である。

 2つめが……自分のことしか考えない人間は受け入れられない。介護にはさまざまな苦労がともなうものである。頑張った者と頑張らなかった者が同等というのはおかしい、だから戦う、である。

 どちらを採るかは人生観にも関わってくる。

 筆者は、2つめに近い考えになった。法的手続に出られたなら、兄弟姉妹でありながらA(編集部注/筆者の兄弟姉妹。親の介護にほとんど関与しなかった)と膝を交えて話し合いをしていく機会はなくなってしまった。それでも、調停や裁判を通じて、介護中の母親の状態がどうであったかを伝えることはできる。

 あくまでも調停委員や相手方の弁護士を通訳のように介しての形となるが、思いを陳述することは可能である。

 もしも兄弟姉妹の好きなようにすればいいという1つめの選択をしたなら、その機会はもうないと考えた。現に訴訟が終わったあとは、まったく音信不通の絶縁状態となっている。

 Aの現在の携帯電話番号もメールアドレスも筆者のほうは知らないままである。母親がどのような状態であったかは、調停や訴訟を通じて伝えるしか機会はなかった。