(2)他の兄弟姉妹には「申し訳ない」「恩に着ます」と詫びておくが、あくまで口頭で詫びる。のちのち証拠になってしまうメールでのやりとりはしない。

(3)時間があれば、茶菓子程度のものを携えて、親を引き取った兄弟姉妹のところを訪れる。親が入院したと聞けば、花を携えて見舞いには行く。たとえ訪問や見舞い程度であっても、あとで「介護を手伝った」あるいは「手伝う意思はあった」と申し開きをすることができる。

 どれだけの介護をしたか、あるいは介護をしなかったかは、裁判となってもなかなか具体的に立証できるものではない。何らかの外形を残しておけば、あとになって言いのがれや申し開きができる。

 たとえ介護に差があっても、裁判所はそれを「特別な寄与」とはなかなか認定しない。しかし、100対0は避けたほうがいい。そのための外形とアリバイは作っておく。携えた茶菓子や花の領収証は、のちのちのために残しておく。

「相続放棄する」との
文書には意味がない!?

(4)とっておきの切り札がある。「自分は親の相続財産については放棄をする」と他の兄弟姉妹に公言しておくのである。これについては、言葉だけでなく、文書にしてもよい。むしろ、文書のほうが他の兄弟姉妹も納得するだろう。署名して捺印しておけば体裁も整う。捺印は実印にしてもよい。

 この文書を差し出して、「だからキーマンなど親のことは全部引き受けてほしい。本当にすまない」と口頭で言っておけば完璧だろう。他の兄弟姉妹は、「相続の放棄をするとまで明確に言うのなら、介護をしなくてもしかたがないな」と受け止めるだろう。

 ところが、このような“親が亡くなる前の相続放棄”は、たとえ署名捺印があっても意味がないというのが法律の立場である。いくら署名捺印があっても、捺印が実印であっても、裁判所は単なる紙切れとしか扱わない。

 まるで詐欺のようなものなので、道義的な点では問題があるが、法律的にはこのような文書を差し入れていても、何の効力も持たない。親の死後でないと、相続の放棄は認められないからだ。だから親の死後には、堂々と相続権を主張できる。