AIにはできない“胸キュン”
スマホを置いて外へ出よ

――答えが一つではなく、問いさえも自分で考えなければならない不確実性の高い時代ですが、一方で、生成AIの登場により、答え(らしいもの)が簡単に出てくるようにもなりました。絵画や文章、音楽、お笑いのネタなど幅広い創作領域にも影響を与えています。

大崎 生成AIは、本当の人工知能ではないと思っています。膨大なデータの中から、質問に対してデータを集めて答えを出しているだけで、何も考えていない。人工知能でなく、「人工知能風のもの」だと私は理解しています。莫大な百科事典にすぎません。

 そもそも、生成AIは、「感じる」ことができないですよね。人間は感じることできます。ご飯を食べて「うまいな」と感じる。これが人間と生成AIの最大の違いだと思います。

 自らの手や指先で感じたり、肌触りで気持ちいいなと感じたりすることができる。または、かわいい女の子を見て胸がキュンとなる。生成AIにはそれがない。

 だから文章も、言葉の記号をきれいに並べているだけになる。丘の上に立って、風が吹いてきたとします。ソロソロと風が吹いてきたと人が感じて書く文章、あるいは発する言葉と、生成AIがいろんな言葉を並べて「丘の上に立ったら風が吹いてきた」と書くのとではまったく違います。

 漫才のネタも生成AIでつくれるというけれど、漫才を舐めてるとしか思えない。漫才のようなものはつくれるかもしれません。浮世絵のようなものを描けるかもしれません。でも、そこには感情がないし、魂が入っていないわけです。

 もちろん、生成AIがすごいのはわかります。人間ができないことをいっぱいできる。科学技術がますます進み、いま以上のことができるようになるでしょう。でも、胸キュンとはならないと思います。

――ただ実際、生成AIがつくった文章やイラストなどは、人間がつくったものと区別が難しくなっています。人間の力が試されている気がします。

大崎 おっしゃる通りだと思います。僕もたぶん区別がつかないと思います。そこはすごく試されているし、人間としてわかるようにならないといけないですよね。

 人間の存在意義というか価値、あるいは心の価値が、生成AIによって試されているのかもしれません。