プロ作家が明かす「書くことの葛藤と解放」と題した本連載では、プロの書き手に「書けない」時の精神状態を語ってもらいます。従来のライティング本では、方法論に焦点を当ててきたのに対し、本連載では、「文章がしっくりこない」「何を書いてもダメだ」と感じる瞬間などに注目。書くことの苦しみを通じて、承認欲求や自意識、そして言葉の在り方自体を掘り下げます。プロの苦悩を知ることで、読者が自身の「書けない理由」について再考するきっかけになると幸いです。第2回は『正欲』や『何者』などを手がけた直木賞作家の朝井リョウさんにインタビューしました。10月2日に『生殖記』(小学館)を上梓します。

受け手次第なので
書き出しで悩んでもしょうがない

直木賞作家の朝井リョウが文章下手の人に教える、目からウロコの「開き直り術」撮影:川口宗道

――朝井さんは小説を書く時に苦しみを感じますか。

 時間がない、などの苦しみはありますが、小説を書くこと自体に苦しみは殆どないかもしれません。私の場合、書き始める前の、語り手の造形と一人称か三人称かを決める段階が最も大きな悩みどころなんです。そこを決めるのに時間がかかるのですが、書き始めたら、とりあえず最後まで行っちゃおう!みたいな気持ちになります。

――小説を一人称にするか、三人称にするかを決めることが苦しみであると。

 最初の大関門です。私にとって人称を決めることは、この世界に対してどこにライトを置くか、この時空のどの範囲を言語化していいかを決める作業なので。

 その初期設定がおかしいまま書き進めてしまうとのちのち大変なことになるのですが、それがベストな配置でキマれば、あとは小説を書くこと自体はわりと楽しいかもしれないです。

――書き出しをどうするかは悩みませんか。

 昔はそういうこともあったと思いますが、今はないです。人称と違って、書き出しはあとから簡単に直せるので、とにかく書き出しちゃいます。それに、書き出しを滅茶苦茶考えたところで、どう感じるかは受け手次第なんですよね。そういう部分についてはあまり悩まなくなりました。