「いいえ、できません」

「あの、本当にそう感じるということですか?」

「それはつまり、わたしが時計塔に登って猟銃で人を狙い撃つつもりか、という意味でしょうか」

 今度は相手が黙る番だった。

「だとしたら、そんなつもりはありません。何が何でもあなたに釈明しなくてはいけないとも思えません」

「尊敬」「理解」「感謝」
それらにも腹が立った

 誰かがわたしに尊敬を向けてくれたり、理解しようとしてきたりする。そんな時、わたしは何も知らないで無神経な態度をとられるのと同じくらい腹が立った。最悪なのは、人から“きみたちが向こうでやってくれたことに”感謝する、とひとからげに称賛されることだ。

 何への感謝だ、と訊きたくなる――子供たちを撃ち、土手の陰で恐怖に身を縮め、民間人の家々に砲弾を投下したことへの感謝か?あそこにいたというだけで誇れることなど何もない。誇れるとすれば、われわれが正しく判断し、正しいおこないをしたことについてだ。

 わたしは自分の正しいおこないが過ちよりも多かったことを祈り、自分が人々の命に対して傲慢ではなかったことを祈る。時として、悪には別の悪をもって戦うしかない――それを受け入れる術をわたしは身につけつつあった――たとえどんなに正しい目的のためだとしても。

 イラクから帰って1年経った6月、わたしは幼馴染の友人を引きずって、メリーランド州西部のアンティータムにある南北戦争の戦場跡を訪れた。

 その地を歩きたかったのだ。わたしの目には、横木の柵や修復された大砲の間にRPG(編集部注/イラク軍が装備していたソ連製の対戦車兵器)や挺身隊(編集部注/サダム・フェダイーン。フセイン大統領の長男が率いたとされるイラクの民兵組織)が見えた。このトウモロコシ畑を防御するのに、わたしだったらどこに機関銃を配置しただろう?ヒットマン・ツー(編集部注/筆者が率いた小隊のコールサイン)だったらどうやって“ブラッディ・レーン(訳者注/3時間半の戦闘で南北両軍あわせて約5500人が死傷した長さ720メートルの道)”を襲撃しただろう?