日差しの温かさを腕に感じながら、ハチが飛び回る背の高い草原の間を抜けて、ぶらぶらとバーンサイド橋の方へ歩いていく。その橋は、アメリカの最も血塗られた日の午後、北軍の部隊がアンティータム川を渡ろうとして、激しい砲撃に見舞われ3度失敗した橋だ。わたしたちは橋の真ん中で、石の欄干に手をかけて立った。

海兵隊を離れることを
選んだ男の誇りとは

「無駄だったのかな」わたしが訊いた。

「いいえ」友人が答える。「北軍は勝ったし、リンカーンは奴隷解放宣言を出した。奴隷を解放した。あなたたちがアフガニスタン人を解放したみたいに」

 わたしは返事しなかった。「タリバンに支配されてた女性や、サダム・フセインに支配されてた気の毒なイラク人のことを考えてみなさいよ」話題を変える機会をとらえて友人が話をつづける。「あなたたちはすごく大勢の人のために、すごくいいことをした。そのことに気持ちよく満足すればいいじゃない」

 わたしは川を見下ろしながら、慎重に言葉を選びつつ、これまでに数えきれないほど自分のなかで繰り返してきた自己弁護を並べた。善というのは抽象的だ。悪を悪いと感じるほどには、善をよいとは思えない。よいと思えるくらいなら夜に眠れなくなったりはしない。

「だらしないこと言うのね」頭を横に振りながら友人が言う。「どうして自分と部下が大きな犠牲を払って成し遂げたことをいいと思えないの?どうして誇りに思えないの?」

 わたしは65人を戦争へ連れていき、65人を連れて帰った。その男たちに自分のすべてを捧げた。われわれは共に試され、共に勝った。恐怖に打ち負かされはしなかった。アフガニスタンとイラクの人々の暮らしがよくなってほしいとは思うが、われわれはそのために戦ったのではない。

 われわれは互いに、仲間のために戦ったのだ。

 そのことを、わたしは誇りに思う。