大隊には辞めていく将校のために“歓迎と別離”と称する送迎会を催す伝統がある。わたしの送迎会はベネリ少佐(編集部注/イラク戦争における筆者の大隊の上級将校)が金曜の午後に開くと決めたが、その日はわたしが町を留守にするのが最初から分かっていた。ひどいやり方だが、あまり腹は立たなかった。わたしの忠誠心は大隊にではなく、小隊に対するものだったからだ。

 リーコン小隊(編集部注/海兵隊の偵察任務を専門とする部隊)には様々な伝統が染みついているが、とりわけすばらしい伝統が“パドルパーティー”だ。わたしのパーティーは8月のある金曜の夜にマイク・ウィン(編集部注/イラク戦争で小隊長の筆者を支えた一等軍曹)の家で開かれ、小隊の全員が集まった。

“大尉”から“ミスター”に昇進
人生で最も意味のある時代が終わった

 みんながわたしを部屋の真ん中の椅子に座らせ、まわりに集まる。この儀式の起源はバイキングの軍船にまでさかのぼる。言い伝えによると、戦士が所帯をもって落ち着くために船を下りる時、それまでの貢献の証として、またその後の船団の戦力が弱まることの象徴として、仲間たちから櫂が贈られたという。

 まず、最年少隊員のクリストソン上等兵がパドルを手にとる。一等兵から上等兵への武功昇進はガニー(編集部注/一等軍曹の意)・ウィンとわたしが推薦したもので、ベトナム戦争以来初となる事例のひとつだ。

 パドルはクリストソンの手から年齢順に小隊全員へ渡されていき、パドルを手にした者がひとりずつ話をする。

 パドルはガニー・ウィンから小隊最年長のパトリック三等軍曹に渡された。パドルを作った本人だ。パトリックはパドルをこちらへ向けて、はじめてそれをわたしに見せた。

 長さ1.2メートルのサクラ材をパトリックが彫って作ったものだった。柄には緑と褐色と黒のパラシュートコードが巻かれている。水かきの部分は、わたしの大尉記章とパラシュートウイング章とリボンの絵で飾られていた。裏にはルディ(編集部注/三等軍曹。アフガニスタン、イラクで筆者と共に戦った)の描いた第一偵察大隊の部隊章があり、一枚の写真が貼ってあった。戦争前夜にクウェートの砂漠で撮った小隊の集合写真だ。