
かつて商社業界で万年4位に甘んじていた伊藤忠は、いまや三菱商事・三井物産のツートップを押しのけて時価総額首位にいる。この躍進の原動力となったのが、2010年以来同社のかじ取りを担う岡藤正広だ。経営者として圧倒的なビジネス手腕をふるう岡藤の、駆け出し時代の奮闘ぶりをたどる。※本稿は、野地秩嘉『伊藤忠 商人の心得』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。
岡藤正広の最初の配属先は
花形部門ではあったが……
伊藤忠はかつて商社の業界で万年4位、準一流の会社と呼ばれていた。現在は三菱商事、三井物産に次いで純利益は3位だが、時価総額では伊藤忠がトップである(2025年2月時点)。ちなみに2021年3月期決算では純利益、株価、時価総額の3つの指標で伊藤忠が業界トップに立った。
「準一流」と見られていた伊藤忠をまぎれもなく一流にしたのが現会長の岡藤正広だ。「か・け・ふ」という商人のための言葉も彼が作った。「か・け・ふ」とは伊藤忠が実行するべき商いの三原則で、稼ぐ・削る・防ぐの頭文字を取ったもの。
三原則の生みの親、岡藤正広は入社後すぐに頭角を現したわけではなかった。
彼が営業マンとして稼ぐまでには雌伏の時代があった。入社して輸入繊維部門の配属になったはいいものの、入ってから4年間は「受け渡し」という事務作業に従事したのである。
彼が配属されたのは大阪本社にある輸入繊維第一部の輸入紳士服地課。生地の輸出と輸入を担うセクションだ。輸出の担当は「尾州もの」という愛知・岐阜近辺の繊維会社が織った羊毛生地(紳士服地)を中近東、アジアへ送り出すのが仕事だった。