しかし、彼は入社してすぐに営業に出たわけではない。前述のように、最初は受け渡しという事務職をして、業界知識、商品知識を蓄えた。通常であれば受け渡しは1年で卒業するが、岡藤の場合は次の新人が入ってこなかったこともあって、4年間もやることになった。

 受け渡しの相手は主にラシャ屋だ。生地メーカーから仕入れた反物を発送し、請求書を発行、代金の取り立てを行う。取引先のラシャ屋とうまくやっていくことが要求される仕事である。ラシャ屋の社長にしてみれば、生地はどこの商社から買っても同じだ。代金だって変わらない。そうすると、なるべく支払いを延ばせる商社、買ったものを倉庫で預ってくれる商社がいい。融通の利く相手と取引したいのが彼らの本音だ。

 一方、商社の営業マンも生地を売るために調子のいいことを言う。そうした営業マンの後始末も受け渡しの仕事だ。「期日通りに入金してください」「倉庫に1年以上も置いたままになっています。倉庫代をもらいます」といった話をしなくてはならない。だが、通常は1年しかやらないので、ラシャ屋の社長にきっちり話をつける人はほぼいなかった。

 岡藤は人一倍、真面目だった。真面目過ぎたこともあって、ラシャ屋の社長、社内の事務仕事にルーズな営業マンから嫌われてしまった。ついには先輩営業マンからこんなことも言われた。

「岡藤くんは天才や。受け渡しの天才。キミは受け渡しをずっとやっていた方がよろしい。事務はできるけれど、営業現場には向かないのと違うか」

 4年間、つらいことの方が多かった。それでも与えられた仕事に真面目に取り組んだ。

「商人は水」を守れば
商社マンは大成する

 入社5年目、彼はやっと営業に出た。最初は当時の課長が一緒だった。

 岡藤は営業になった時、ひとつの「商人の言葉」を持っていた。贈ってくれたのは当時の本部長。後に伊藤忠の副会長になった商人としての先輩だ。

「商人は水や」

 岡藤の脳裏にはそのひとことが焼き付いていた。彼の一生を決めた言葉であり、座右の銘とも言える。岡藤は説明する。