それでも楽しければいいじゃないか――蔡さんと作家ホストたちが見せてくれたのはそんな当時の香港社会のムードそのものだった。だがそれだけではなく、「香港才子」と呼ばれた3人の、広く、豊かな話題や国際色豊かな情報もまた、人々を引き付けた。

 香港の多くの一般庶民にとって、蔡さんという人物のイメージはこの番組から始まったといっても過言ではないだろう。

 実は当時、香港でまだ特に将来の人生設計もなくぶらぶらしていた筆者も、蔡さんの紹介で香港映画や現地作家関連のお仕事のお手伝いをさせられたことがあった。また、蔡さんの香港グルメ本の日本語出版翻訳を唐突に任され、旧正月休みを返上して翻訳に励んだこともあった。

 その頃の香港はまさにそんなふうに独特のスピード感があり、熱く、うるさく、そして時に面倒くさく、説教くさくもありつつ人情豊かで、「終わりよければすべてよし」的な明るい時代でもあった。

 今や、彼と一緒に番組ホストを務めていた人気SF作家の倪匡(ニー・クアン)さんも、超人気作詞家だった黄霑(ジェームズ・ウォン)さんも、もういない。倪匡さんといえば、中国でもその作品が広く出版されていたにもかかわらず、アンチ共産党的な立場を隠さず、「共産党より売春婦のほうがずっと信頼できる」などという名(迷?)言を吐いて世の中を沸かせたこともあった。また黄霑さんが作った歌には今でも香港の人たちのみならず中国人を高揚させてくれる名曲がたくさんあり、カラオケの定番となっている。

 だが、筆者と蔡さんはかつて主権返還(1997年7月)周年の取材で「香港映画で描かれた中国」について話を聞かせてほしいと連絡を取ったとき、「政治にはかかわりたくない」と断られて、そのままになっていた。

 蔡さんの死で、メディアには彼にまつわる思い出や彼が一番活躍していた時代の話題が流れ、主権返還前のにぎやかだった時代へのミニ回想ブームが起きている。「香港才子」たちはまたあの世で集まり、あんなふうに酒を酌み交わしてバカ話をして大笑いしているのだろうか? 心からご冥福をお祈りしたい。