
香港映画界の有名プロデューサーで、日本ではテレビ番組「料理の鉄人」審査員として知られる、蔡瀾(チャイ・ラン)さんが亡くなった。ジャッキー・チェンにも影響を与えたプロデューサーであり、作家、コラムニスト、美食家としても知られる文化人の死は、香港社会にちょっとした返還前への回顧ブームを起こしている。そしてこの訃報に触れて、筆者は蔡さんに「聞きたかったこと」を思い出した。(フリーランスライター ふるまいよしこ)
日本とも縁の深い香港の映画プロデューサー、蔡瀾さんが亡くなった
6月25日、香港の作家でエッセイスト、美食家、さらには映画プロデューサーだった蔡瀾(チャイ・ラン)さんが83歳で亡くなった。蔡さんは、ジャッキー・チェン全盛時代の映画プロデューサーであり、かつて香港の二大映画製作会社の一つだった「ゴールデンハーベスト」(嘉禾)の副社長も務めていた。
蔡さんは、当時シンガポールでアジア圏最大の映画製作会社「ショーブラザーズ」に勤めていた父のもとに生まれ、1950年代から60年代にかけて日本大学に留学した際に、学生生活の傍ら日本で同社の映画の売り込みを始めた。
大学卒業後、同社が拠点を移した香港に移住。香港では日本語が堪能というだけではなく日本の社会事情にも詳しい「日本通」として知られていた。
1990年代には映画会社の重役を務めつつ、新聞にコラムを書いたり、現地テレビでトーク番組のレギュラーホストとしても活躍。番組では蔡さんと作家仲間2人がスタジオでゲストを囲み、リアルにお酒を飲みながらしゃべるという画期的なスタイルを採用し、深夜の放送ながら毎回話題を振り撒いた。
この番組には、彼の人脈によるものだろう、小泉今日子さんなど香港にプロモーションにやってきた日本人人気タレントがゲストに招かれることもあった。しかし、番組が進むうちに通訳を兼ねていた蔡さんまで酒が回ってしまい、ゲストたちがおっさん作家たちの繰り広げる弾丸広東語に困惑する場面もたびたび出現し、そんなハチャメチャ状態も視聴者には大ウケした。