そのときです、師匠が一喝したのは。
「人生のどん底で行き詰まって、仏の教えを聞きに来たというのに、あなたはまだ金銭の損得を考えているのか!」
社長さんはぎょっとした顔をしていましたが、そばにいた私も、そのときは意味がわかりませんでした。この話をすると、「さすが師匠は商売上手で、小銭じゃなくてお札を入れさせようとしたんですね」と意地悪を言う人もいますが、違います。
賽銭箱は、執着を手放す修行のために置かれています。面白いもので、私たちはお金のないときにはそんなに執着しませんが、お金を貯め始めると気が変わります。
ようやく貯めた300万円が250万円に減ると、心が痛みます。「じゃあ、1億円貯めたら全然気にならないか?」というとそうじゃなく、9000万円に減ることはものすごく痛い。10億円貯めて「もう使い切れないんじゃないか?」という状態になっても、それが9億円に減ることは、やっぱり痛みなんです。
貯め込めば貯め込むほどお金に執着し、数字で物事を見てしまう癖がつきます。
しかし、人生に行き詰まったときにまで小さな損得にこだわっていたら、立て直しという本質的なことは成し遂げられない。師匠はそれを伝えようとしたのです。
その社長さんは気づいたのでしょう。黙ってお札を入れて帰っていきました。しばらくして手紙が届きました。
「私は小さな損得を気にして商売をしてきましたが、和尚さんの一喝で目が覚めました。損得抜きで、本当にお客さん、取引先、従業員の幸せを願いたい。作る人、届ける人、買ってくださる人、自分の商品にかかわるすべての人に幸せになってほしい。そのために覚悟をし、自分の持っているものを損得抜きで投げ出して思い切った勝負をかけたら、事業がなんとか上向いてきました」