「仕事で失敗してツラい…」→仏教の言葉に心がフッと軽くなったPhoto:PIXTA

ビジネスの場面で誰しもミスはついてまわるが、そう割り切れずに落ち込んでしまうのが人間というものだ。そんな状態から脱却するためには、2600年間にわたって人間の苦悩に寄り添ってきたブッダの教えがヒントを与えてくれる。どんなつらいときでも、そこもまた仏様の掌の上なのだ。本稿は、光澤裕顕『仕事がつらいときに読む仏教の言葉』(星海社)の一部を抜粋・編集したものです。

落ち込んだ心をどうケアするべきか
「仏の世界観」から未来を意識しよう

「人は誰しも失敗して成長する」とは言うものの、やはり失敗すれば落ち込むものです。

 かく言う私自身も仕事でたびたび小さなミスをやらかしてしまい、上司から叱咤されることも。だいたいは、確認不足や連絡漏れなど「ほうれんそう」の不徹底やケアレスミスによるものです。実際、悪いのは自分自身だという自覚もあり反省もするのですが、やはり、失敗のことをズルズルと引きずり、落ち込んでしまいます。

 このようにたとえ「失敗」が成長の糧になるとしても、落ち込んでいるとき、その心とどう向き合うのかは大きな問題です。

 ある人は「失敗」を忘れるために、とにかく欲望を満たし誤魔化そうとするかもしれませんし、なかなか切り替えられず落ち込んだままの人もいるでしょう。「失敗」との向き合い方は人それぞれですが、万人に効果のある対処方法というのは、なかなか見つからないようですね。

 また、落ち込んだ人を励まそうとして、一生懸命相談にのったにもかかわらず、相手の痛みの核心に触れられない歯痒さを感じたこともあるでしょう。

 人は自分という壁を超えて他者になりきることはできません。それゆえ、完全に他人の痛みを理解することはできないのです。しかし、仏教には困難の中で生きざるを得ない人々に寄り添い、生きることに対して希望を紡いできた歩みがあります。

 それは「現代の常識」や「科学のしくみ」と比べるとちょっと不可思議に感じるところもあるかもしれません。しかし、「仏の世界観」を生きると、私たちはつらい失敗の先にある「未来」に目を向けることができるようになるでしょう。

阿弥陀仏が人々に信仰された背景には
天変地異と戦乱による絶望があった

 仏教における礼拝の対象は「仏」です。

「仏」とは「目覚めた者」「悟った者」をさす言葉です。もともとはお釈迦さまを指す呼称でしたが、後に広く「悟った者」に対する呼び名になり、阿弥陀仏や薬師如来などさまざまな仏が生まれました。

「如来」は「仏」の異名で、「如」は真実や悟りを意味し、「如来」は総じて「真実から正しい教えを導くために来る尊い人」という意味があります。