信金理事長として「原発ゼロ」に踏み切った経緯
――東京・蒲田のご出身で、地元の城南信用金庫に入職されました。
吉原 30年間努力して、全権力を掌握して、前体制の退任を勝ち取りました。学園紛争もあって、正しいことを正しいと言うことが身に付いています。大人になって丸くなったり、不正義を見ながら甘んじて何もしなかったりしたら、友人や先輩に怒られてしまう。
収入が増えることが働くことのモチベーションという考え方は間違っていると思い、理事長の報酬を支店長よりも低く抑えました。3代目理事長である小原鉄五郎会長から、「信用金庫は社会貢献企業」であり、銀行とは違うということを叩き込まれました。「社会貢献の意欲が大事」と話していた就任4カ月目に、大震災に直面しました。

(もりがみ・のぶやす)
森上教育研究所代表
1953年岡山生まれ。早稲田大学法学部卒。学習塾「ぶQ」の塾長を経て、88年森上教育研究所を設立。40年にわたり中学受験を見つめてきた第一人者。父母向けセミナー「わが子が伸びる親の『技』研究会」を主宰している。
――東日本大震災(2011年3月11日)ですね。
吉原 この現実を前に、どのように行動するか。社会貢献が大切と話していた以上、何とか東北を支援しようと。そこで出資者である地元の中小企業の社長さんと話しましたら、「どんどんやってくれ」と。社長さんたちには温かいハートがある。福島から集団就職で来たという方もいらして、われわれが被災地支援をすることに対してご賛同・ご支援いただけました。延べ2000人を派遣し、私も仮設住宅に1週間泊まり込みで炊き出しをしました。
――その後、「原発ゼロ」宣言を出され、元総理と一緒に会見に臨んだ姿を覚えています。
吉原 原発が爆発して、地元の信用金庫は店舗の多くを失った。これは許せない。震災から3週間後の4月1日、城南信金のホームページに「原発に頼らない安心できる社会へ」というメッセージを公開したところ大ごとになり、小泉純一郎、細川護熙、鳩山由紀夫、菅直人という歴代総理大臣を巻き込み、右から左までの政治家、社会運動、宗教団体も巻き込むことになりました。
そういうことをやるのが麻布生の使命なのだ。「困っている人を助けなさい」「正しいことをやりなさい」というのが江原先生の願いであり、創立の理念です。自分一人だけもうけていればよいと言うわけがない。進学校なんかみんな同じだという意見もあるかもしれませんが、麻布で学んだ以上、そういうことにはならない。
――横浜商科大学(横浜市鶴見区)の理事長に就任されていますが、これも社会貢献活動の一環ですか。
吉原 慶應義塾の先輩である清水雅彦前理事長がご病気になり、再三断ったのですが、車いすでやってきて、「お前しかいない。他は全部辞めて引き受けてほしい」と言われました。私は非常勤の理事だったのに。24年に就いたばかりの千葉商科大学(千葉・市川市)の副学長も辞任して、この1月からお引き受けしました。
――麻布とはだいぶ雰囲気が異なるのでは。
吉原 進学校ではない高校の方が、在学中から社会的に立派なことをしています。千葉商大では毎年開催している「環境ビジネススピーチコンテスト」の委員長を務めましたが、農業高校や工業高校の高校生は高い意識をもって社会に貢献していることが分かりました。例えば、津波の塩害で桜が全滅したことに対して、宮城県の農業高校の先生と生徒さんが塩害に強い桜を品種改良して全国に広めている。新宿御苑にも植えられている。使用済みの使い捨てカイロにクエン酸を加えて活力剤を開発したりしています。
こうした高校の生徒さんは、目が輝いて自信に満ちています。ぜひ商科大学においでと言っています。「法学は正しいか正しくないかだけ、経済学は損得しか考えない。それに比べて、商学は人々を幸せにし、笑顔にすること目的だ。だから商学部ではすべての学問分野を総合的に学び、実践しなければならない。これこそが福沢諭吉の言う実学(実用の学問ではなく真実の学問)だよ」と話しています。
――70歳を過ぎてからは、いっそう教育に力が入るということですね。
吉原 私は日蓮宗のお寺の檀家で、子どもの頃は地元の池上本門寺で遊んでいました。今は、宗門の立正大学の評議員も務めています。内村鑑三もほめたたえるぐらい情熱的な日蓮様の信念に基づく生き方はクリスチャンと通じるものがあるかもしれませんね。