逆に湾岸戦争でアメリカは、バグダッドまで攻め込むことで「現在の犠牲」が増えるのを避けることを重視しました。その一方、戦争で負けたフセイン体制は自国民から見放されて間もなくつぶれるとして、「将来の危険」を軽くみていました(結果的にこの予想は外れ、フセイン体制は存続しますが)。
戦争の終わり方は、ヨーロッパでの第二次世界大戦のように、一方(連合国)が他方(ドイツ)を完全につぶしてしまうケースもあれば、湾岸戦争のようにそうでないケースもあり、さまざまです。
しかし実はよくみてみると、どの戦争の終結のかたちも、結局のところ「将来の危険」と「現在の犠牲」のバランスをどう考えるかによって決まるという点では、同じなのです。
ここで問題になるのが、「将来の危険」を取り除くべく「紛争原因の根本的解決」をめざすためには、今戦われている戦争で自分たちが犠牲を払う必要があり、逆に、「現在の犠牲」を避け、「妥協的和平」でよしとするのなら、将来にわたり危険と共存していかなければならない、ということです。
戦争の終わり方のかたちは、このような「戦争終結のジレンマ」のなかで探さなければならないというところに難しさがあるわけです。
西を向いたウクライナとは
ロシアは共存できない
それでは、今続いているロシア・ウクライナ戦争の終わり方については、どのように考えればよいのでしょうか。この戦争が始まった当初にプーチン大統領が思い描いていた出口は、「ウクライナの首都キーウを陥落させ、ゼレンスキー政権を倒して、ウクライナの武装を解くとともに、NATOに加盟させないこととする」とするものでした。
優勢勢力であるロシアからみた「紛争原因の根本的解決」です。
この背景には、ウクライナが西側寄りになることを「将来の危険」とみなす、強迫観念のようなものがあったと考えられます。