その場合、結局イスラエルは犠牲を払いながら、イスラエルからみた「紛争原因の根本的解決」は果たせず、どこかで撤退するしかなくなる可能性があります。
なおこの記事で説明した戦争終結論についてもっと詳しく知りたいという方は、手前味噌ですが、わたしが書いた『戦争はいかに終結したか』という新書をお読みいただければと思います。
北朝鮮の暴走を招いた
朝鮮戦争のツケ
ここまでの議論を踏まえると、実は戦争の出口の姿に正解というものはない、ということが分かります。
「将来の危険」を取り除くことを重視すれば、「現在の犠牲」を払わなければなりませんし、逆に「現在の犠牲」を避けたいのなら、「将来の危険」と共存しなければならないからです。

今わたしたちが北朝鮮の核兵器の脅威と向き合わなければならないのも、1950年代に国連軍・韓国軍側がその当時の「現在の犠牲」を回避したことのツケ、ともいえるわけです(編集部注/朝鮮戦争中、中国は大量の「義勇兵」を送って北朝鮮を支えていた。国連軍を率いたマッカーサーは、北朝鮮の後背にいる中国を核兵器で叩くことで完全勝利を計画。だが、共産圏との全面戦争を懸念したトルーマン大統領はマッカーサーを更迭し、将来の脅威より現在の大規模戦争回避を優先して妥協的な休戦に至った)。
ただそのなかで、「現在の犠牲」をためらうあまり、「将来の危険」を実際よりも小さいと誤解して軽々しく妥協をおこない、その結果短期間で戦争が再開されたり、逆に「将来の危険」を実際よりも大きいと誤解して、不必要な「現在の犠牲」を生んだりするような戦争終結は、失敗であるといえるでしょう。