通常であれば莫大な利益が見込める密輸ビジネスを、あえて政府にすべて差し出すというのです。この姿勢の背景には、太郎が心に抱いていた“お国のために動く”という強い信念がありました。

 かつてロシアからの鮭缶輸入ビジネスで大儲けした際に、実父の正治から「要するにお前がやっていることはバクチじゃねえか。お国のため、人類の幸福のためだなんて息巻いていたが、鮭缶でボロ儲けするのがお国のためなのかい」と罵られたことも頭にあったでしょう。彼にとって、今回の江蘇米密輸は、国の危機に直接貢献できるという「大義名分」を伴った行動だったのです。

 一見すればただの密輸提案ですが、これは太郎の高度な政治的戦略でもありました。政府の窮状を救うことで、強固な信頼関係を築き、将来の大きな「果実」を得る種をまく――すなわち、「人間植林」の思想が、そのまま国策レベルの人間関係形成に応用された瞬間だったといえるでしょう。

 人の役に立つための情報を、相手が必要とするタイミングで提供する。そのためには、日頃からの調査や準備に一切の妥協を許さず、しかも自らは表に出ず、信義を守る。太郎のやり方は、決して一過性の人脈ではなく、長期的な信頼という「果実」を育てるための耕し方だったのです。

 この江蘇米密輸の一件は、単なる一商人の奇策ではありませんでした。それは、太郎が自らの処世哲学を、国家の課題にぶつけてみせた、まさに実践の場だったのです。

 そして、「私の儲けはいりません」と言ってのけた無欲の姿勢が、この勝負の結末で大きな意味を持ってきます。その話は次回。

Key Visual by Noriyo Shinoda