「今日の私はこれだったんだ」と思う
最初からできる人なんていない

 その時は「今日の私はこれだったんだな」って思います。そして「理由」を考える。

 私が仕事でうまくいかない時といったら、「テレビやラジオでちゃんと話せなかった」ことだと思う。それは頭がまわっていなかったということだから、前日に食べすぎ・飲みすぎたのか、寝不足だったのか。

 理由を考え、「失敗から学ぶ」という言葉通り、次に気をつければいい。最初からできる人なんていないのだから。

 だから私は今、大きな仕事の前にお酒を飲むことはないですね。

「やればできる」は
自分を追い詰めてしまう

 あとは「自分はいつも仕事ができない」と思うのなら、その職業が向いていない可能性もあります。辞めるのもひとつの勇気。そして「本当に自分がやりたい仕事」に向かうのもいい。

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 LiLiCoさんには嫌いな言葉が二つある。それは「やればできる」と「なんとかなるさ」だ。
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「やればできる」「なんとかなるさ」、この二つは子どもにも教えてはいけない言葉だと思います。

 もちろんやってみるのは、すごく大事だし、実際にやってみたらできることもある。でも何でもかんでも「やればできる」にしてしまうと、“憧れ”だけが膨らみ、本人ができなかった時に行き詰まってしまう。起業したけれど経営に行き詰まったり、芸能人を50年続けても売れなかったり……。

「なんとかなるさ」は、「誰かがやる」ということ。母もよくスウェーデン語で「『なんとかなる』という言葉が嫌い」と言っていました。「あなたは『なんとかなる』と言っていればいいけれど、私がそれをやることになるんでしょう」と。

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「やればできる」というのは相手を励ましているようで「その道へ進むことへの強要」であるのかもしれない。また「なんとかなる」は、場合によって他力本願ともいえる。
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「続ける」ことも素敵だけど
「やめる勇気」のほうがすごい

 前回、「やりたいことは口に出しましょう」という話をしましたよね。多くの人は恥ずかしいのか、やりたいことを言わない。そして仮にそれがやれたとしても、今度は「やめること」が恥ずかしいんだって思ってしまうんでしょう。周りからあれこれ言われる時もあるわよね。でも何か言われてもいいのよ。だって周りの人の人生に何の関係もないこと。

 私、ギターをやってみたけれど、2日でやめたんです。それを誇りに思っているの。ピアノは弾ける。でもギターは私の体に合っていなかった。だからやめた。最高じゃないですか。私に合わないということがひとつわかった。そちらのほうが知恵があるでしょう?

「続ける」ことも素敵ではあると思う。だけどさ、「やめる勇気」のほうがすごいと思うのよ。