そもそも他人は自分の思いどおりには動かないということを、つねづね忘れないようにしたいですね。

 何度も言いますが他人は自分の期待どおり動きません。

「してほしい」という期待は、「すべき」の押しつけに進化することがあるから気をつけましょう。

 過度の期待は自分の「べき」の押しつけだと気づけると、期待はずれに対する怒りも、がっかりも味わわずにすみますよ。

他人からの勝手な「期待」に
無理をしてまで応える必要なし

 一方で、自分にかけられた期待に対して、「応えられない」と悩んでしまう人も少なくありません。

 お願いごとを断るのに罪悪感があったり、期待に応えられないと過度に申し訳ないと感じたり。

 ですが、自分が期待に応えたいと思うのなら応えればいいし、そうしたくないのならスルーすればいいのです。

 相手の期待に応えるか応えないか決めるのは、あくまでも自分です。

 そのスタンスは崩さないようにしたいですね。

 たとえば、親に一流企業に入社することを期待されていて、自分でもいいなと思うなら、「他人の期待と自分の希望が一致」していますからハッピーですよね。

 逆に、親は「一流企業に」というけれど、自分は「小さい会社でエンジニアをやりたい」と思うのなら、親の期待は気にせず、自分の希望する方向に進みましょう。そのことに罪悪感をもつ必要はありません。

 だって、他人の期待に応えるために生まれてきたわけじゃないでしょう?

 期待に無理に応える必要はありません。

 自分の人生の責任は自分がもつのですから。

 期待は相手の持ち物として受け取って、「じゃあ自分はどうしたいか」を考えるようにしたいです。

 だって相手は責任をとってくれません。

 自分で選択して、その選択の責任をとれるようになることが、「線を引く」のに大事なことです。

「私のために言ってくれている」を
一度疑ってみることが重要

 たとえば、次のようなフレーズを言われたことがありますか。