たとえば、親の経験則や見聞きした情報にもとづく教育法にこだわり、子どもの意見や適性を無視して自分の思い通りに育てようとしてしまう。あるいは、子どもに過剰な勉強を強制して、精神的・肉体的に追い詰めてしまうといった問題です。
畑村氏が設立した失敗学会が示す教訓――「大事故が起きないと本格的な対策はとられない」「安易な対応は後でツケがまわってくる」「技術の本質をきちんと伝達することが大切」――は、子育てにも通じるものです。
親が失敗を恐れず、失敗から学ばなければならないのは、子どもに何か問題が起きてからでは遅いからです。
失敗から学べる人と学べない人とでは、失敗のとらえ方が違います。
失敗から学べる人は、失敗を「自分の力を伸ばすうえで欠かせないもの」ととらえます。
逆に失敗から学べない人は、失敗を「自分に才能がない証拠」と考えてしまうのです。
やらされる習い事よりも
好きなことに時間を使う
日本の教育は、誰もが平均的な成績を取ることを目指してきました。何か突き抜けた才能があっても、すべて平均的でなければ落ちこぼれ扱いされてきた傾向があります。
しかし、人間誰しも得意・不得意があります。無理に苦手なことに取り組ませるのではなく、その子の特性に合った選択をさせることが重要です。
これからの時代は、AIのおかげで人間がやらなくてもいい仕事が増えていきます。「できないことはできる人と組んで協働すればいい」という考え方が、これからの時代を生き抜くうえでは不可欠です。
子どもにも、「できないことは人に頼ってもいいんだよ」と教えてあげれば、安心して好きなことにチャレンジできるでしょう。
勉強も習い事も、親にやらされて、親に褒められたくて、イヤイヤながらがんばっている子どもは多いものです。
大人と子ども時代の習い事について話すと、「ピアノなんて好きでもなかったのに親に続けさせられた」「あの習い事は本当に無駄だった」といったネガティブな話がよく出てきます。