街の中でひっそりと佇む
現在も活用される2つの倉庫

 掩体壕のような大掛かりなものはさておき、実は戦争の痕跡は街のいたるところに残されている。ともすれば見落としがちな、ささやかな遺構をいくつか紹介しよう。

 目黒区、池尻大橋駅そばの住宅街には、「駒沢練兵場」の跡が残されている。正確には建物の跡地ではなく、練兵場が置かれた陸軍用地との境界を示す石柱がいまもひっそりと佇んでいるのだ。

 明治政府は当時、軍用に適した土地としてこの場所に着目し、軍事力強化の拠点として駒沢練兵場を設置。そのため三宿界隈には、兵隊やその家族をターゲットにした店舗が軒を並べるようになり、そのまま現在も活況を呈するエリアになっている。

 なお、兵隊や軍馬の食料を保管した倉庫が2棟、周辺に残されていて、いまも修繕を重ねながら民間の事業者が利用している。ひとつは生協の倉庫、もうひとつはヤマト運輸の池尻集積所として使われている事実は、おそらく周辺住民にとっても耳慣れない情報であるはずだ。

【戦後80年】目黒区の住宅街に残る「兵士の食料保管庫」、現代の住民を支える意外な活用法とは?陸軍用地を示す境界石。かつての駒沢練兵場の痕跡だ

 また、軍事施設ではなく、おそらくは周辺住民によって掘られたものと思われる防空壕もまだ都内に散見される。筆者がたまたま目にしたのは、JR北赤羽駅から歩いて数分、北区立赤羽台さくら並木公園内の防空壕だ。

 その名の通り、美しい桜並木が自慢の公園であるが、もともとは陸軍近衛工兵第一連隊の敷地だったようで、付近には射撃訓練場も置かれていたという。

 そうした土地柄から、界隈には多くの防空壕が存在していたそうだが、戦後にその大半が埋め戻され、北区で残されている防空壕はこの一箇所のみとなっている。