引き続き、都内に的を絞って戦争遺跡を渉猟する。文京区の後楽園近辺には、かつて東京砲兵工廠射撃場や陸軍砲兵工科学校が置かれ、現在もその名残が見られる。
後楽園駅に直結する礫川公園には諸工伝習所跡記念碑があり、つまりはこの地が陸軍の技術教育発祥の地であることを示している。記念碑は1972年に、諸工伝習所創立100周年を記念して設置されたものだ。
付近には東京都戦没者霊苑も設けられていて、16万人にのぼる戦没者の御霊が祀られている。ここもまた、常時多くの人々が行き交うスポットだが、たまにはこうしたモニュメントに着目し、歴史を振り返るのも有意義だろう。

時速590キロの「飛燕」も格納した
戦闘機を守るための掩体壕
一方、三鷹市、府中市、調布市にまたがる都立「武蔵野の森公園」には、当時の建造物がそのまま遺されている。敷地内で保護される、2つの掩体壕(えんたいごう)である。
掩体壕とは軍用機を格納したコンクリート製の設備で、いまも全国に多くの遺構がそのまま残されているが、都内ではなかなかお目にかかれないレアな遺構である。この地域にはかつて調布飛行場が置かれ、陸軍の飛行部隊がここに配備されていたのだ。
本土決戦に備え、残り少ない貴重な戦闘機を守るために、約60基の掩体壕が設けられたこのエリア。ここに格納された戦闘機の中には、時速590キロの快速を誇った「飛燕」も含まれたという。
陸軍の主力戦闘機として首都の防衛にあたった「飛燕」だが、終戦間近のジリ貧の戦況においては、期待されたほどの戦果をあげることはできなかったとも伝えられている。

この掩体壕が秀逸なのは、傍らに当時の格納状況を示す模型が展示されている点で、いまもマニアが多く訪れるスポットになっている(ちなみに「飛燕」の実機は、鹿児島・知覧町の「特攻平和記念館」に保存されている)。軍事マニアならずとも、なかなか気の利いた演出と言えるだろう。
なお、調布飛行場は敷地を縮小して都営空港として現存し、神津島や三宅島など離島への路線を維持している。
