日産の村山工場は2つの市にまたがる巨大工場で、最盛期には3000人以上の従業員が勤務。周囲には部品を収める関連企業はもちろん、それらの企業で働く人たちを支える生活基盤となる商店などもたくさんあり、さらには住居として東京都が都営村山団地を建設するなど、村山工場を核として1つの街、1つのコミュニティが形成されていました。
その核が消えるというのですから、影響は計り知れません。閉鎖が決まった直後の日産および取引先従業員の沈んだ顔色、商店主らの「これからどうなるのか」と不安な様子、街全体に強い悲壮感が漂っていたことは今でもハッキリ覚えています。
村山工場があった街にはその後も何度か訪れていますが、かつての活気は感じられません。現在は、工場跡地の北側にイオンモールが建ち、食品工場や倉庫などが並びます。南側は宗教団体が土地を購入しましたが、報道によると何十年も広大な空き地状態のようです。

追浜に専用埠頭を残してどうするの?
外資が狙う「メイド・イン・ジャパン」
さて、村山工場閉鎖から約25年経った今、日産が再び大規模リストラを行います。神奈川県の追浜工場と日産車体の湘南工場は、25年前には閉鎖を免れたものの、ついにターゲットとなりました。追浜工場で生産する小型車「ノート」は九州工場に移管・統合。研究所や衝突試験場、専用埠頭などの機能は継続すると日産はいいます。
村山工場は売却ありきの閉鎖でしたが、追浜工場は生産拠点の統合というお題目で、一部機能を残すようです。しかし、専用埠頭の継続には首をかしげざるを得ません。この専用埠頭は、追浜工場と日産車体湘南工場で生産されたクルマを輸出する際などに使われていました。もう車両生産をしないなら、積み出しするクルマが存在しないと意味がありません。