「権限のグラデーション」を設計する:
スピードと自律性を両立させる技術

「非常時の権限集中」というケマルの手法は、現代のリーダーに「ガバナンスの柔軟性」という重要な問いを投げかけます。

市場のディスラプション、新たな競合の出現、パンデミックなど、現代はまさに「常時非常時」ともいえる時代です。

だからといって、トップダウンの指示命令系統を恒常的に強化すれば、現場の自律性や創造性は失われ、組織はたちまち硬直化してしまいます。

何を集中させ、何を手放すか

ここで求められるのは、「集中」か「分散」かという二者択一ではありません。リーダーは、「何を集中させ、何を手放すか」という権限のグラデーションを緻密に設計する目を持つ必要があります。

例えば、企業の根幹をなすビジョンや経営哲学、大規模な投資判断、そして危機対応の最終責任は、リーダーが断固として手中に収めるべき領域です。

一方で、日々の業務遂行の方法、顧客への具体的なアプローチ、新規事業の小さな実験などは、大胆に現場へ権限移譲する。

この使い分けによって、組織は「船の進む方向は一つだが、各々が最高の航海術で漕ぐ」という、スピードと自律性を両立した状態を実現できるのです。

状況に応じて権限の配分をダイナミックに変えることこそ、現代のリーダーに求められる高度な舵取り術です。

データとリアルの往復運動:
現場の「手触り感」が未来を拓く

ケマルが最前線に立ったように、リーダーが現場に身を置くことの価値は、テクノロジーが進化した現代においてむしろ増しています。

私たちは今、KPI(Key Performance Indicator=重要業績評価指標)ダッシュボードや精緻なデータ分析によって、組織の状況をリアルタイムで把握できるようになりました。

しかし、その数字の裏にある顧客の微細な表情の変化、社員が口に出さない本音、競合が次に仕掛けてくるであろう「予感」のようなものは、決して画面からは伝わってきません。

優れたリーダーは自らの足で「現地」を歩く

優れたリーダーは、データという「地図」を熟知しながらも、必ず自らの足で「現地」を歩き、現場の空気という「手触り感」を確かめます。

オフィスの自室でレポートを眺めるだけでなく、顧客とのクレーム対応に同席し、若手社員とランチを共にし、製造ラインの従業員と何気ない会話を交わす。

そうした生々しい一次情報に触れることで初めて、データは立体的な意味を持ち始め、数字の行間から未来を読み解くインサイト(洞察)が生まれるのです。

自らの組織の「最前線」に立つ覚悟

リーダーが現場と共にあるという姿勢は、単なる精神論やパフォーマンスではありません。

それは、組織の隅々にまで健全な緊張感と信頼のネットワークを張り巡らせ、誰もが安心して挑戦できる心理的安全性の土壌を育む、極めて合理的な経営行動なのです。

ケマルのように、あなたもまた、自らの組織の「最前線」に立つ覚悟が問われています。

※本稿は『リーダーは世界史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。